霊感って(贄)

 閲覧いただき、ありがとうございます。
霊感強すぎBBAです。

世の中には何かしらの「特別な存在」に憧れていて、
オカルトやスピリチュアルにハマる人が結構多いのではないかと思います。

私も今まで、「自称霊感が強い人」をたくさん見て来ました。

一般的にたくさんの人は見えないし感じないので、
出鱈目を言ってもバレないと言う事実がありますので、
やりやすいんでしょうね。

そして
周囲からはチヤホヤされがちだし、面白がってもらえるし。

でも、
「自称霊感が強い人」の中に本当に霊感が強い人って
多分ほとんどいないんじゃないかなあと思います。

まず、本当に霊感が強い人って、
「普通の人」のように暮らしたいと思って心に負荷を抱えているので、
得意げに「自分は霊感が強い」というふうには発言しません。

自分が自分をキモいと思っている場合が多いと思います。
あとは
「なんでこんな体質に生まれてしまったんだ。」というふうに、
自分自身のその体質を呪ったりとかすると思います。

なので、若干自己否定感が強い人が多いような気がします。



最近は新生のスピリチュアル活動をする集団とか、
「自分にとって都合のいい未来を引き寄せるためのコツを教えます」的なセミナーとかが
非常に人気みたいですね。


私の意見なのですが、
お金を払って「幸せになれる、もしくは自分の思い通りの現実を引き寄せるためのコツ」を買うという行為は、
なんだか危険なことのように感じます。

唯物主義的に考えたら「何がいけないの?」と思われるかもしれませんが、
なんとなく、危険なことのように感じます。






質量保存の法則というものがあるのは皆さんよくご存知かと思います。

物理的に質量保存の法則というのは存在していて、
これは宇宙全体でも存在する法則です。

「何かを望めば、それ相当の対価を支払う必要がある。対価に見合った結果が現れる。」
これが本質中の本質だと思います。

なので、昔々の人は
五穀豊穣をお願いする秋祭りの時に、贄をお捧げしました。

飢饉を避けるために、
そのコミュニティの中の誰か1人が犠牲になって、
村全体の人たちが助かればいいという考え方が定着したんですね。

贄を捧げて五穀豊穣を願うお祭りは、「予祝」と呼ばれ、
日本各地に広まりました。

自分、もしくは自分たちの都合によって、
本来起こり得る未来を前てもらうように神仏に願う。

そのために誰かが犠牲になっても構わない。

天の神様(=宇宙)に何かを積極的にお願いするということは
そういうことになってしまい、
それを積極的に是と考えて推奨しているのが
今の一部の新興宗教であったり、一部のスピリチュアル団体であったり、
一部のセミナー活動をしている集団であったり、
なのではないかなあと私は思います。

そういうふうに「自分の思い通りの未来を引き寄せる」ためにお祈りしたりお参りしたり活動をしたり、お金を払ったり
そんな活動を一生懸命行った結果
果たして私たちは
本当の意味で幸せになれる未来が見えていますかね?

「自分が幸せになるために禊をしなくっちゃ!」と言って
山登りをしたところでそれは禊にはなりません。
ただ山に登っただけのこと。

私が思うに、
順番が違うんじゃないかなあ?と思うんです。

先に「自分が幸せになりたい」という欲があって、
だから何かしらの得体の知れない神仏的な存在にお願いして、
「そのために一生懸命禊をします。」

という行為

おそらくたくさんのスピリチュアル系のセミナーとか団体では推奨されているのではないかなと思うのですが、

真逆だと思うんです。

宇宙は、もしくは天は、または神様は
よく功を立てた人に対して祝福を与えてくれるのが普通で自然で

「色々禊をしますから私の願いを叶えてください。」
という下心から発した行為に対しては
功とは評価されないのではないかなあと思います。私は。

じゃあ、
実際にそれでお金持ちになったり、ハッピーになった人に対しては
どのように説明するの?っていう話になりますよね。


贄は必ず必要です。
自分が今まで積んだ徳以上のものを求めるのであれば、
それ以上の成果が得られたなら必ず代償を求められます。

なにしろこの宇宙は質量保存の法則で成り立っていますからね。


では、どこで代償を払うのか?



徳の借金となった「自分だけがいい思いをしたラッキーやハッピー」は
子孫に払わされます。


なので自分たちが自分の徳の持分よりもたくさん楽していい思いをしたらその分、全部
子孫がそのツケを払わされることになります。

「徳の借金を子供や孫に払わせる。」
そんな行為、したくないですよね。

でも知らず知らずのうちにやっちゃっている場合があるかもしれません。

なぜなら、
甘い言葉で誘って来ますもん。
一部のスピ系集団とか、
一部のセミナー団体とか。


今の状況を見たら
地球温暖化は止まらなくて、
地球規模の広い視野で見たら産業が増えすぎていて
大気汚染は止まらなくて、
「カーボンニュートアラル」だなんて言っておきながらさてその達成率はどうなんだい?っていうような状況なのではないかなと思います。

20年ぐらい前に
CO2マイナス8%運動なんて運動が始まりました。
年間8%ずつ、世界中で輩出するCO2の量を削減していきましょう
という運動でしたが、
実際にはプラス8%以上ずつCO2の排出量は増えていたらしくて
知らないうちにその運動自体も立ち消えになりました。

物は有り余っていて
もう新たに生産する量は減らしていく必要があるのに、
山のように生産し、
そしてそれを廃棄物として投棄する。


これらの活動も、
全部自分たちの子孫がそのツケを払うことになるってわかっているのかな・・・。




昔々、30年以上前、
行者のおばあちゃんのところに通っていた頃、
私は不動明王様に言われました。

「地球上に人口は8割ほど減るよ。
お前は生き残りたいか?それとも8割の中に入って一緒に淘汰されたいか?」
と。

私はついうっかり
「生き残りたいです。」
と言ってしまいました。

そうしたら不動明王様は
「瓦礫の山と、死体の山が積み上がるよ?一緒に死んだほうら楽だと思うぞ?」
とまた私に言いました。

私は
「それでも生きたいです。」
と言いました。

理由は、ただ単純に
死ぬのが怖かったからです。



今、世界中で
瓦礫の山や死体の山が積み上がるような事態が起きつつあります。
これは
我々の行った
「徳の借金を子孫に押し付けている」ということが如実に現象化しているのだろうなあと思います。



私たちは
ちょっと立ち止まって
今までの生き方、
そしてこれからの生き方を考える必要があるのではないかなあと思います。

本当に大事なものがなんなのか、
それがカッコ良くても悪くても
精査する必要があるのではないかなあと思います。


霊感が強いのは
ただ単に人からすごいと言われて注目を集めることができて
自分は特別な存在だと感じることができて良いと
思っている人がたまにいるみたいですが、

そういうのはカッコ悪いからやめましょうね。

コメント

  1. きいろはばなな2024年9月7日 3:26

    7月最終日に投稿された記事をつらつらと読み返していて、気がついたら9月も半ばが迫ってきていました。日が短くなりましたね。
    まず、私には霊感とかなんらかのスピリチュアルなセンスとかがありません。
    その上で、目先の欲に浮かれて先が見えなくなるのは霊感のあるなしとは関係がなく、悲しいかな「人間あるある」で、カッコ悪く浅ましい行いであるのは、もちろん霊感のない私も同じです。
    霊感とかスピリチュアルとかって名称を使うと特別感が出ますが、行われることは普通の人間の営みと同じかなあと思っています。特別な情報網を持っているから特別な利率で資金運用できます、儲けさせてあげますよ、とか、単語を入れ替えればまんまですもん。
    スピもお金も欲望も漠然としてて捉えどころが難しいから親和性があるのかな。

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    返信
    1. きいろばななさまありがとうございます。
      人ってないものねだりで
      自分が持っていないものを欲しがる傾向が強いですよね。
      ただ、霊感に関しては持っていないに越したことはないと私は思います。

      ただ、
      おっしゃる通り人の生き方として
      何でもかんでも
      「ちょうだいちょうだい」で
      自分は何もしないというのは
      「それは違うよね・・・」と思っちゃいます。

      世間、もしくは天または神様に
      評価されたから結果が出てくるのだから
      その「結果」だけを先に欲しがっちゃ
      うまくいくものもうまくいかないような気がします。

      欲は我々みんなが持っているものだけど、
      とっても厄介なものですね(汗)。

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