死生観
いつも閲覧してくださりありがとうございます。
霊感強すぎBBAです。
先日あばらを負傷しました。
その事を書こうかなと思っていたのですが、
私ごとですみません、犬が死にましたので
このことについて先に書こうかなと思います。
あばらはまだ痛いです(泣)。
18年間一緒に暮らした老犬が死にました。
2024年10月17日(昨日)
18歳でした。
老犬の介護をしていると言うことはお店のブログや各種SNSでも書いていたので
ご存知の方も多いかもしれません。
人生5頭目のお見送りでした。
生まれた時から犬が家にいるのが当たり前な環境で暮らして来ましたので
犬は居るもの、
そして必ず先に死ぬものという感覚は身についていました。
身近な人が死んだ
飼っていたペットが死んだ
そういう事象に出会うことは
長く生きていれば起きうることです。
そんな時、
私はあんまり悲しみに暮れません。
ごめんなさい。
薄情だと思われるかもしれないので先に謝っておきます。
なんでかというと
「居る」からなんです。
そして
「訴えてくる」からなんです。
昔々すごく若い頃に母方の伯母が糖尿病による合併症で亡くなりました。
お通夜とお葬式に参列しました。親戚だからね。
でもお亡くなりになる前に私に挨拶に来てくれていました。
なので朝起きて「◯◯おばさん、亡くなったから。」と言われた時に
「知ってる。」と思いました。
挨拶に来てくれていたので。
具体的な状況としては
天井近くの壁から当該の伯母がにょろりと現れて
「ありがとうね。」
と言ってサッと去っていった感じでした。
それを受けて
「ああ、逝ったんだ。」と思いました。
なので、お亡くなりになったという知らせを受けても
「だよね。知ってる。」という感覚だけでした。
肉体を持っているかもっていないか
その違いだけで
魂がそこに存在している事を感じ取っていたからだと思います。
お通夜とお葬式に参列した私に
伯母はついてきました。
そして
生きていた時の執着(甘いものの摂取)を続けようとしました。
元々甘いものが苦手だった
特に砂糖そのものの味が嫌いだった
なんなら黒糖は大嫌いな食材の一つだった私が
黒糖のかりんとうが美味しくて美味しくて
食べたくて食べたくて仕方なくなりました。
なんでもいいから甘いものが食べたくて
お砂糖を多用した何かしらを常に欲するようになりました。
当時は行者のおばあちゃんのところによく通っていましたので
「あんた、なんか連れて来てるね。」と言われて
憑依を外してくれました。
(もちろん憑依していた伯母はたくさんお説教をされました)
憑依が外れた途端に甘いものへの渇望がなくなったのは
いまだに「面白いなあ」と思います。
伯母が亡くなった時に
一滴も涙を流さずに、しんみりともしない私に対して
母親は
「あんたのおばさんが亡くなったのに、なんて薄情な子なんだ!」と言いました。
まあ、実家における私の立ち位置なんていつだってサンドバッグもしくはスケープゴートみたいなものだったのでそこはスルーするとして。
涙も出ませんし、悲しいなんて思うわけがありません。
だって、ここにいるんですもん。
いるんです。
確かに。
見えないけど。
その時の私の感覚は
「肉体がなくなっただけなんだなあ。魂は確かに存在するんだなあ。(そしてここにいる)」
でした。
さて、長年一緒に暮らしたソラが亡くなりました。
が。
やっぱり私に憑いて来ました。
だよね。
いっぱいお世話したし、
ソラにとってのいちばんの愛着対象だもんね。
と思いました。
なので
現象としては老犬ソラは死んだけど
悲しみに暮れるということはありません。
ただ、
「体、重かったんだね。しんどかったね。」という感覚はとてもよくわかります。
なので、
現世への執着を早く手放して
肉体への執着を早く手放して
早く楽になってほしいと思います。
一緒にいて楽しかったから
愛着対象だったから
「だから死んで悲しい」
と思うのは自由です。
でも、残された者があんまり依存や執着してしまうと
霊が心配します。
「自分がいなくなってこの人大丈夫かなあ?」と。
こんなに重くてしんどい思いして亡くなったご霊に
これ以上心配をかけたりすがるような気持ちでいることは
酷なことなんだろうなあと思います。
なので、
ソラが死んで
少しだけ泣きましたが
あんまり悲しんではいないのではないかなと思います。
ただ
家族の中で
私がいちばんソラと仲が良かったし
いちばん信頼されていたし
いちばんの愛着対象であったことは間違いないです。
それだけきめ細やかにお世話してきた自負があります。
なので、
ソラは生きている間は幸せだったと胸を張って言います。
だから
「こっちは大丈夫だから安心して天国へ行きなさい。
もし次に生まれ変わってくることがあったらその時はきっと人間だよ。」
と
言ってあげたいです。
今朝、
お線香の匂いがふっと鼻をかすめました。
そして残された我々はまた日常を暮らし
その中で仲良く幸せに過ごしていくことでしょう。
そうすることが
おそらくいちばんのご供養になるのではないかなあと私は思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
次こそはあばら負傷について書きますね。
いつも気まぐれでスミマセン。
ソラちゃん可愛かったですね。
返信削除ありがとうございます😊
削除人や動物がなくなった時、涙を流し、落ち込み、悲しむ姿じゃなくてはならないような人いますよね。私も、15歳のダックスを亡くしましたが、十分かわいがったし13年も目が見えずに、家族を楽しませてくれたことに感謝しかなく有難うで見送りました。1人の友人が凄く気遣ってくれましたが、もっと悲しまなくてはダメなのかなぁとも思いましたよ。
返信削除今まで、一緒に暮らしていた家族がいなくなって寂しくないわけがなく、ただ今をちゃんと生活するしかないんじゃないかなぁと・・死生観は、難しいですね。
MAKIKOさん
削除コメントありがとうございます。
お返事が遅くなっちゃってごめんなさい。(見落としてしまっていました)
寂しさも悲しさももちろん山のようにあるのですが
やっぱり何よりも心配をかけたくないと言う気持ちが大きかったなあと思います。
とても可愛がっていた子なので、
「自分がいなくなることで飼い主は大丈夫だろうか?」と思わせるのがしのびないというか
「安心してあの世に行ってまた意気揚々と生まれ変わっておいで。」
と言う気持ちが強かったです。
そりゃ寂しいですよ。
それは当たり前ですよね・・・。
49日を過ぎて無事に虹の橋を渡ったみたいなので(それまでは私の足元を頻繁にうろちょろしていました)
今は安心して偲んで泣けます。