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11月, 2023の投稿を表示しています

悲しみ

 閲覧いただき、ありがとうございます。 昨日の記事では行者のおばあちゃんとのほっこりエピソードを書くと発言しましたが、 直近で私が経験したことを書こうと思います。 最近の私は、ひどく悲しい気持ちに苛まれることが多い状況でした。 「更年期鬱かな?」と思いましたが、 私の性格上、あんまりありえないよなあ?とまるで他人事の様に考えていました。 なぜなら、 「このままでは死んでしまう。」という発言はしたことがあるけど、 「どうせ私なんか死んだ方がいいのよ。」とか 「死んでしまいたい。」みたいな思考とか発言はほぼないので。 原因がなくてただ悲しい。 「更年期による情緒不安定かな?」 「更年期による自律神経失調症かな?」 など色々考えてやり過ごそうとしていました。 が、また夢を見ました。 各駅停車の電車に乗ってどこかに行く夢です。 夢の中の私の目的地は高円寺の自宅のはずなのに、 全然知らない土地で、電車は海沿いを走っていました。 山を抜けたら真っ青な海が見えて、岩礁が見えたりしていました。 夢の中で私は「どこに行くんだろう?」とすごく不安でした。 翌日、寝ようと思ってベッドに入りましたら また、あの青い海と電車の映像が蘇って来ました。 そこに悲しみの気持ちも乗っかって来ました。 ああ、最近私が感じていた悲しみの感情は、私自身のものではなかったんだな。 ということを知りました。 実は、 オットのおばあちゃん、 仮にH子さんとしましょう。 が台湾の日本統治下の時期に台湾で生活していたことがあるのだそうです。 私もオットも台湾がどんな歴史を持っているのか全然知りませんでした。 なので調べてみましたら、 台湾の鉄道は海岸線をぐるりと周回するような形だということを知りました。 夢の中で、とっても青い海が非常に印象的だったので、 北海道や日本ではない様な気がする、とは思っていました。 オットのおばあちゃんが台湾を引き上げて日本の、実家に帰って来た時に、 2人の男の子を連れて帰って来たのだそうです。 そのうちの1人がオットの父です。 子供達の父親に関してどんなに問い詰められても、 H子さんは決して口を割らなかったのだそうです。 実家にはもうH子さんのお父さんは亡くなっていたらしく、 跡を継いだお兄さんが「この子達は自分の養子として育てるよ。」と言ってくれたのだそうです。 優しさに溢れ...

嘘のような本当の話

 閲覧くださり、ありがとうございます。 今日は居候君から聞いた不思議な経験談をご紹介しようと思います。 これは私が実際に経験したわけではなく、居候君の経験談なのですが、 居候君が「自称霊感が強い人」ではないと私自身も知っておりますので、 多分本当のことです。 自分が経験したことではないので、一応「多分本当のこと」とさせていただきますね。 (無駄に疑り深い) 居候君が大学生だった頃の話だそうです。 仲良しの男女4人でキャンプだったかBBQだったかに行ったのだそうです。 山梨県の方って言ってたっけな。 居候君はお酒を飲めない体質なので、運転をになっていたそうです。 帰りましょうということになって、片付けをして車に乗り込んで、 帰り道を車で走っていたら、 ずっと一本道なのにいつまで経っても広い通りに出ないのだそうです。 「おかしいなあ?」と思ったそうです。 後ろの席の女の子たちは居眠りしていたのだそうですが、 「そろそろ地元に着く頃かな?」みたいな感じで目を覚ましたそうです。 それでもまだ山道を出ていないことにびっくりして「どうなってるの?」と騒ぎ出したのだそうです。 帰る予定の時間に娘さんを送り届けられないのは良くない、と判断し、 居候君はそれぞれのお家に「道に迷ってしまって帰りが遅くなります。」と連絡したそうです。 走っても走ってもずっと一本道で、迷い様がないよなこれは。と居候君は思ったそうです。 そのうちに決まった感覚で、赤い鳥居の前を通っていることに気付いたのだそうです。 「あ、同じ道を通ってる!どうしてだ?一本道なのに!」と居候君は焦ったのだそうです。 同乗していた友達たちもそれに気付き、車内はパニック状態になったそうです。 しまいには別に何も操作していないのに、車のパワーウィンドウが開いたりする始末。 女の子たちは怖がって泣き叫ぶ始末。 助手席の男友達もパニック状態。 もちろん居候君もパニック状態。 そんな状況がしばらく続いたのだそうです。 しばらくしたら広い道に出たのだそうです。知らない間に。 午後4時ごろにはそれぞれの自宅に送り届けられるような予定だったのに、 結局送り届けることができたのは10時過ぎだったようなことを言っていました。 霊感が強いことで有名な、八代亜紀さんとか稲垣淳二さんが同じようなことを話しているのはなんとなく知ってはいたけど、 ...

すごい霊障

 閲覧くださいましてありがとうございます。 さて、ここからは居候君を襲ったすごい霊障のお話をしようと思いますよ。 まずは私が経験した実際にその場に立ち会ったお話をしようと思います。 東京に来て、霊感が強い同士であっという間に仲良くなりました。 古巣の東京事務所がまず、すごく霊的にキツい場所でした。 何しろ日本橋人形町という場所だったので。 霊的なことがあんまり気にならない人にはわからないと思いますが、 歴史の古い場所ほど、霊的にもキツいという傾向があります。 その上で、 古巣の東京事務所は、特に何かしらの何かしらがとっても強い場所だったみたいです。 霊的なやつね。 井戸があった場所を埋め立てたのかなあ? と思うぐらいに何かしら(霊的な)がキツい場所でした。 そのせいか、東京事務所の前任者の方は鬱を患ってしまい退職してしまったようです。 「欠員が出た」とのことで、私が東京事務所の常駐スタッフとなりました。 ぽー◯すみす的な何かしらのブランドの製品を作る業務を担う会社の人として居候君は 古巣の東京店に出入りしていました。 んで、ある日、唐突に 「オガワさん、霊感強いでしょ。」と言われまして、 「自称霊感強い人」にはお互いに今までたくさん出会ってきていましたのですが、 お互いに「あ、この人本物だわ。」と思ったせいか、あっという間に打ち解けました。 東京事務所での業務は 私に取っては非常にストレスフルなものでした。 社長の本質なのか霊的に左右されているのか、 非常に翻弄されて体調を崩しました。 なので、自分を生きさせるためと、娘を養い続けるために、 古巣のテキスタイルメーカーを辞めることにしました。 錚々たる超有名なブランドさんと取引をしていた会社だったので、 勉強になることこの上なし、と思っていたのですが。 それよりも自分の身の安全を確保することが重要だ。と思いました。 そして、蔵前の事務所を偶然見つけて、そこを契約してWildberry業務を再開することにしました。 居候君は蔵前の事務所を整えるときに、協力してくれました。 作業台を設置したりとか、 車を出してくれて色々運搬してくれました。 そして人心地ついた時に事件が起きました。 居候君がいきなり調子が悪くなったんです。 「あれ?あれ?大丈夫かな?」と思って心配していましたら、 どんどんと具合が悪くなってしまい...

霊感とは

 霊感が強いと聞くと、幽霊が見えちゃう人のことを言うのかな〜と思われる方がたくさんいらっしゃいます。 実際に日常的に幽霊が見えちゃう人もいらっしゃいますが、 私は幽霊はあんまり見えません。 たまに見えるぐらいの程度です。 以前は事務所で使うパソコンはデスクトップでモニターの大きなものを使っていました。 でもそのパソコンがつぶれた時に、ノート型に買い替えました。 ノートの方が高かったのですが。 理由はモニターが小さいからです。 モニターが小さいと、PCと自分との距離が近くなります。 なのでBBAで近視な上に老眼も始まっていますが、ノートPCにしました。 多分、今のPCがご臨終になっても、次に買い換えるのもノートPCだと思います。 これは何故かと言うと、 夜に事務所で1人でPCに向かっていると 自分の後ろに何かが映ることがたまにあったからなんです。 普段ほとんど見えないし、肉眼で見えても「気のせいかな?」でスルーしてくることができていたのですが、 1人しかいない事務所の中で、PCのモニターに、 自分の後ろに何かしらが映るとギョッとします。 時には人だったり、時には影だったり、 形態はいろいろです。 でも私は基本的には「みえない」と言うスタンスを貫いています。 ですが、私は霊に憑依されやすくて霊が何を訴えたいのか、何を欲しているのか、どんな気持ちでいるのか、を感じ取ったり代弁することができます。 いわゆる「イタコ体質」と言うやつです。 蔵前の事務所に一時期居候していた居候君は霊がバッチリみえちゃうタイプの人です。 見えすぎちゃって困るわ〜(昭和の人なら知ってるかなあ?)なタイプの人です。 一時期、一緒に活動をしていたことがあり、 一緒に行動する機会がたくさんありました。 その時に、 居候君が 何かに目をやっているのを見ると、 居候君が何を見ているのかがわかると言う現象が起きました。 例えば、居候君がとあるマンションを見上げた時に 肉眼では見えませんでしたが彼が見ている光景が私にもビジョンとして入って来ました。 「◯階の外廊下に男の人が3人いるね。作業員っぽい上着を着てネクタイをしている。」 と言いましたら、 「え?見えてるの?」 と言われました。 「見えないけど、君が見ているビジョンが伝わってきたよ。」 と言いましたらものすごく驚かれました。 他の日には とある空...

おばあちゃんの教訓 3

 閲覧してくださりありがとうございます。 行きたくもない高専に無理やりぶっ込まれて、というと、 これまた高専でも「行きたくても行けない人がいるのに。」という発言が出てくると思います。 実際に高専の教官や教授も 「やる気のないお前なんかが入ったせいで入りたかったやる気のある奴が1人落ちたんだぞ。」 と言われました。 あと、 中学生の時に仲良くしていたバンド仲間の子が H高を受験して、一番最後の順位で合格したのだそうです。 同じ中学の子達に、 「お前あいつ(私のこと)がH高受験を辞退したから合格できたんだぞ。あいつに感謝しろよな。」 と言われていたのだそうです。 「お前のせいで1人落ちて1人の人生を台無しにしたんだぞ。」も 「お前のおかげで合格できた。人生ひらけた。」も 当時の私の心には響きませんでした。 そんな中、死んだ魚のような目をしながら毎日を生きていました。 高専4年生になった時には青田刈りと言って、企業から求人の何かしらが頻繁に行われるのが当時の慣例でした。 4年生の夏休みにインターンシップと言って研修に行ったら、ほぼそこの会社に就職が決まるというシステムでした。 私もインターンシップのオファーがありました。 ソニーマグネプロダクツという会社にインターンに行ってみないか?と言われました。 ソニーってビッグネームじゃん。 とは思いましたが、 正直な気持ちは嫌で嫌で仕方がなくて泣きました。 結局、自分の意思でソニーのインターンシップを断りました。 先生の顔に泥を塗りました。 そんな日々の中でお勉強は全然しないのにたま〜にすごく良い点数を取ってしまうみたいなことはありました。たま〜に。 そうしたら 私に対して「お前さっさと辞めろよ。」と言って来ていた先生が 「お前やっぱりやればできるんだな!見直したぞ!今回のテストではお前が最高得点だ!」みたいな言葉をかけてくれたりしていたのですが、 私の心はもうすでに死んでいたので、 嬉しいという気持ちは湧いてくることはありませんでした。 そんな泥のような気分を味わいながら霊障と戦う日々を送っていました。 おばあちゃんに会った時だけ、 本当に人として扱われているような気がしてすごく嬉しかったのを覚えています。 なので、どんなに厳しいことを言われてもおばあちゃんのことを悪く思うことはありませんでした。 その奥に愛情があったの...

おばあちゃんの教訓 (伏線)

 閲覧していただき、ありがとうございます。 ここで伏線をお知らせしておきます。 ここをちゃんと説明しないと、前回のお話から続く出来事がなぜ「転機」になったのか、 印象が曖昧になってしまうかな〜と思ったので。 ちょっと話はそれますが、よかったらお付き合いくださいね。 私は実は高専に行きたかったわけではなく、公立の進学校に行きたいと思っていました。 医者になりたかったので、医大に行きたいと思っていました。 そのためには地元の国立医大への進学率が一番高い地元の公立の進学校に行くのが一番良いと思っていました。 目的は進学校へ行くことではなく、医者になることでした。 ですが親の意向で進学校に願書を出させてもらえませんでした。 「H高(進学校)に願書書くからね?」と親にはずっと以前から何度も確認していました。 「入れるもんなら入ってみな。あとでなきをみても知らないよ。」 と親は言っていました。(ネグレクトされ気味の子供でした) 内心点的にも、学力的にも「受からないはずがない」と自信がありましたので 滑り止めの併願は受験しないつもりでした。 願書を提出する期限の前日にいきなり「H高はダメだ」言われました。 理由は「医大なんかに行かれたら金がかかって仕方がない。」からだそうです。 当時の国立医大の学費は年間30万でした。 国立なので、学費は一律でした。 「進学校に行かせてもらえないのだったら高校なんか行かない。」と私もかなり食い下がりました。 「市内の2番目の公立校だったらいかせてあげる。あの学校からも医大へ進学することはできるでしょ?」 と言ってくる親。 2番目の高校と進学校、偏差値や進学率は段違いで違っていました。 田舎あるあるですね。 親としては2番目の高校に行かせることで医大には到底届かない偏差値まで落とさせる目論見だったのではないかと思います。 昔から、言い出したらテコでも動かない性格だった私は (これは志半ばで亡くなった叔父さんの性質を受け継いでいた物と思われます) 「H高(進学校)受けさせてもらえないのなら高校には行かないから。」と言って 明日が提出期限だった受験願書をぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨てました。 翌日、「なんでお前だけ願書未提出なんだ?」と担任に言われても何も答えませんでした。 私が泣き腫らした目をしていたので、 担任は「何かあったな。」と察したみ...

おばあちゃんの教訓 2

 閲覧してくださってありがとうございます。 高専生だった頃の私は、みんながサボっている教室掃除を 「バイト終わりに1人だけでやれ」と言われて 「なんで私だけが損しないといけないんだろう?」とプンスカと怒っていました。 でも、 当時の私にとっては不動明王様とおばあちゃんがいうことは絶対だったので、 ものすごく腹が立っていたけどバイト帰りに(自宅の近所だった)高専に寄って 真っ暗な教室の電気を点けて渋々掃除をするようになりました。 毎日だとしんどいので、 週に2〜3回。 自分が認識していたよりも教室は汚れていました。 髪の毛とか、綿埃とがすごくて 「こんな汚い環境で毎日勉強していたんだ・・・。」と思いました。 でもやっぱり 「なんで私ばっかりがこんなことしないといけないんだろう?」 と思う自分がいました。 「みんなサボっているのに、私ばっかり掃除してなんか損してる。」 という気持ちで プンスカ怒りながら掃除していました。 それが習慣化して 「まあいいか。こんな汚い環境にいるよりもゴミや埃がない環境の方が気持ちいいもんね。」 と思うようにいなってきた頃に、 行者のおばあちゃんから新しいダンジョンが申しつけられました。 「学校のトイレ掃除もしなさい。」と。 しかも「素手でやれるようになりなさい。」と。 「えええええええ???????正気か????」 と思いました。 高専には専門の掃除のおばさんがいましたので、 「なんで私がトイレ掃除しなくちゃいけないんだ!」と本気で思いました。 この件に関しては、今話題の、お金をいっぱい巻き上げることで超有名になったカルト教団が同じようなことを信者に強要していたらしいということで非常に問題になっていますが、 当時の私はそんなことはつゆ知らずでした。 当時の私はおばあちゃんのところに行っていてもほぼお金は収めていなかっとのと、 逆にいろんな美味しいものをご馳走になっていたのと、 色々教訓を授けてくれていたのとで、 「なんか意味があるんだろうなあ。」ぐらいのことしか思っていませんでした。 おばあちゃんは、 「他人が一番嫌がることをできる人間になりなさい。」 と言っていました。 「素手で掃除しても平気なぐらいに、トイレをきれいに保ちなさい。」と。 「それがあんたの罪消しにもなるんだよ。こういうのを陰徳を積むっていうんだよ。」 とも言われま...

おばあちゃんの教訓 1

 閲覧していただき、誠にありがとうございます。 本業の方と、飼っている老犬が死にそうになっていたので、更新が遅れてしまいました。 老犬はもう18歳になろうとしているのに、奇跡の復活を遂げてまた元気になりました。 でも寿命には抗えないと思いますので、 お見送りのための心の準備はしておかなくちゃなと思っていますよ。 おばあちゃんがくれた教訓の中で一番印象的だった出来事をここに書こうと思います。 これはおばあちゃんと、不動明王様がくれた教訓でした。 「あんたは罪深い魂なんだから調子に乗ったり傲慢になっちゃいけないよ。 謙虚な気持ちを持つことが大事だ。」」 と当時の若かった頃の私は日常的に言われていました。 「ふ〜ん?」と当時の私は言葉の表面だけど捉えていました。 でも内心、具体的に何をしたらいいのか、さっぱりわかりませんでした。 ある日、いつものようにおばあちゃんの家に行った時に、 「あんた具体的にどうしたらいいか教えて欲しいと思っているね?」と私に言いました。 「神仏ってなんでもお見通しなんだなあ。」と思ったのと同時に、 「欲しかった答えがもらえる。」と思ってワクワクしました。 「まずは自分の魂が持っている罪を滅ぼすことが大事なんだよ。」おばあちゃんは話し出しました。 「まずは掃除をしなさい。」と言いました。 私は整理整頓好きな性格なので、自分の部屋はいつも綺麗にしていました。 なので、 「掃除はいつもしているよ?」と答えました。 するとおばあちゃんは、 「自分だけ良ければいいという考え方はいけないよ。みんなが使う場所を掃除するのが大事だ。」と言いました。 「みんなが使う場所・・・。たとえば教室とか?」と言いましたら 「あんたの学校の教室、汚いんでしょ?」 と言われました。 「なんで知ってるんだろう・・・。」 と思いました。 当時通っていた高専の教室、一応自主管理制だったので、クラス全員で持ち回りで当番制で掃除を担うことになっていました。 でも、高専生って、「生徒ではなくて学生」という扱いなので、担任は一応いますが 学生のこと、クラスのことに関してはほとんど口出しも干渉もしてきません。 なので、教室の中の事は学生の自主管理ということになっていました。 一応、掃除当番はあったのですが、 実際は誰もその当番を担わずに、授業が終わったら速攻帰るような状況でした。 みん...