おばあちゃんの教訓 (伏線)
閲覧していただき、ありがとうございます。
ここで伏線をお知らせしておきます。
ここをちゃんと説明しないと、前回のお話から続く出来事がなぜ「転機」になったのか、
印象が曖昧になってしまうかな〜と思ったので。
ちょっと話はそれますが、よかったらお付き合いくださいね。
私は実は高専に行きたかったわけではなく、公立の進学校に行きたいと思っていました。
医者になりたかったので、医大に行きたいと思っていました。
そのためには地元の国立医大への進学率が一番高い地元の公立の進学校に行くのが一番良いと思っていました。
目的は進学校へ行くことではなく、医者になることでした。
ですが親の意向で進学校に願書を出させてもらえませんでした。
「H高(進学校)に願書書くからね?」と親にはずっと以前から何度も確認していました。
「入れるもんなら入ってみな。あとでなきをみても知らないよ。」
と親は言っていました。(ネグレクトされ気味の子供でした)
内心点的にも、学力的にも「受からないはずがない」と自信がありましたので
滑り止めの併願は受験しないつもりでした。
願書を提出する期限の前日にいきなり「H高はダメだ」言われました。
理由は「医大なんかに行かれたら金がかかって仕方がない。」からだそうです。
当時の国立医大の学費は年間30万でした。
国立なので、学費は一律でした。
「進学校に行かせてもらえないのだったら高校なんか行かない。」と私もかなり食い下がりました。
「市内の2番目の公立校だったらいかせてあげる。あの学校からも医大へ進学することはできるでしょ?」
と言ってくる親。
2番目の高校と進学校、偏差値や進学率は段違いで違っていました。
田舎あるあるですね。
親としては2番目の高校に行かせることで医大には到底届かない偏差値まで落とさせる目論見だったのではないかと思います。
昔から、言い出したらテコでも動かない性格だった私は
(これは志半ばで亡くなった叔父さんの性質を受け継いでいた物と思われます)
「H高(進学校)受けさせてもらえないのなら高校には行かないから。」と言って
明日が提出期限だった受験願書をぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨てました。
翌日、「なんでお前だけ願書未提出なんだ?」と担任に言われても何も答えませんでした。
私が泣き腫らした目をしていたので、
担任は「何かあったな。」と察したみたいでした。
担任は学校に母親を呼び出して事情を聞きました。
そして母親を説得しようとしてくれました。
「行きたくてもいけない子供達だっているのに。この子は学力は十分に足りてる。
なぜチャレンジさせてあげないんですか?」と
かなり食い下がってくれました。
母親は「他人のくせに我が家の事情に口を突っ込まないでください。」と突き放しました。
私は無念で終始号泣していました。
担任も男泣きしていました。
そこからがえぐかったです。
母親は
「この子の性格上、行かないと意地を張ったら別の高校を無理やり受験させてもきっと全部白紙回答、下手したら名前すら書かないかもしれない。なんとかしてください。受験を受けずに進学させる方法はありませんか?」
と担任にお願いし始めたんです。
担任は
「高校ぐらいは卒業させてやりたいし、その方がこの子の将来のためにもなるな。」と考えたらしく
「高専には特別推薦という枠がありますよ。」と母親に提案しました。
「受験の時の倍率は非常に高い人気高ですが、
特別推薦枠は基準が厳しくて定員割れしているので
願書さえ出せば自動的に合格します。」と
「しかも卒業さえすれば短大卒の資格も得られます。」
そんなわけで私は非常に不本意ながら「特別推薦枠」という鳴物入りで
行きたくもない工業高専にブッ込まれてしまいました。
高専では、普通の科目というのは非常に軽視されていて、
一年生の頃から結構専門科目の割合が多かったです。
普通科目の単位数はかなり少なめでした。
それを踏まえて、普通科目の教官たちは、やる気なし、自分の好きな分野だけを重点的にやってあとは「適当にやっといてね。」的なスタンスの場合が結構多かったです。
私は完全にやる気も生きる気力も失って
ほぼ毎日遅刻か早退か、保健室登校か、
授業に出席しても寝ていました。
なので成績はひどく落ちて、
年に一回の担任と親との二者面談の時には
「特別推薦で入ってきてこんなにやる気がない子は初めてだ!」と親が先生に怒られる始末でした。
なので、
校内を歩いている時とかに、
同じ化学科の教官とか教授に
「おいお前!やる気がないならさっさと辞めろ。お前が入ってきたせいで入りたかった学生が1人落とされているんだぞ!」
なんて大きな声で罵倒されるようなこともありました。
何も言いませんでしたが、内心は
「私だってこんな学校、入りたくて入ったわけじゃないんだよ。」と思い
泣きたい気持ちでした。
そんな中、存在さえ知らなかった叔父さんの霊障が始まり、
行者のおばあちゃんと出会いました。
その時には私自身の親への信頼感というのはほぼ皆無になっており、
生きることに対して絶望していました。
どうせこの先、生きてたって、
高専生っていうことで強制的に興味も関心もない企業に就職させられて
興味も関心もない分野の会社で働いて楽しいことなんかなく生きていくことになるんだ。
と思っていました。
医者になりたかったのにな・・・。
その気持ちは常に私の心の中にありました。
チャレンジして無理だったら諦めもつきますが、
チャレンジすらさせてもらえなかった上に不本意な進路にぶっ込まれたのは
かなりダメージが強かったです。
そんな中、霊障をきっかけに行者のおばあちゃんと出会い、
おばあちゃんに懐き、色々教えてもらったり可愛がってもらったりしているうちに、
「教室掃除」と「トイレ掃除」をしろ、と言われました。
ここで誤解がないように言いますが、
私はおばあちゃんにとっても懐いていました。
そしておばあちゃんのことが大好きでした。
マインドコントロール的なことはされていなかったように思います。
なぜならおばあちゃんは私があまりにも足繁く通ってくるのが
正直迷惑だったみたいなので。
おばあちゃん自身も行者になりたくてなったわけではないし、
嫌々やらされている感満点でした。(笑)
続きます。
次のブログで伏線を回収します。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
コメント
コメントを投稿