キモい体質の私の大きな後悔 1

 閲覧くださり、ありがとうございます。

何から書いたら良いかわからないのですが、
私には色々後悔していることがあります。

人って、「自分は普通だ。」と思いますよね。
自分基準で
「あ、この人すごい。見習いたいな。」と思ったり、
「あ、この人可哀想だから何か手助けしてあげたいな。」とか。




今ではかなり一般的な通念になりつつあるのかな?
それともスピ系界隈だけの常識なのかな?

「思考は現実化する」という考え方。

私はこの本(byナポレオンヒル)を読んだことはありません。
が、
「強く願い続ければ叶う。」

という経験を複数して来ました。随分と若い頃に。
そして、それを結構普通に日常的に行って来ていました。


でもこれはおそらく私の特異な体質のせいだったんだということに気付くのは
またさらに随分と後のことでした。



高専生の時に、クラスメイトの男の子がバイクで峠攻めをして、
操作を誤って事故ってしまったことがありました。

その男の子は小学校〜中学校と一緒の学校の、同じ地元の子でした。
特別な感情はないというか、
逆になんとなく毛嫌いしあっている感覚があったので、
特別話をするとか仲良くするという感覚はなかったのですが、
小〜中〜高と一緒だと、なんとなく同胞みたいな気持ちになるもんなんですね。

ある日の朝、担任が「◯◯が多度志の峠でバイクで事故った。」
とクラス全員の前で言いました。
多度志とは、地元旭川で有名な、
走り屋さんたちがブンブン言いながら速さを競い合う、
険しくて色んな意味でおっかない峠でした。

担任は泣きながら
「頭を強打して、意識がない状態らしい。今集中治療室にいる。ここ2〜3日が峠だそうだ。」
と言っていました。






私はその時に、
「あっ!ピカってしに行こう。」と思いました。

車の運転ができる姉にお願いして、
翌日の朝、同級生の子が入院している病院まで連れて行ってもらい、
病院の前で必死に祈りました。







ここで、「ピカッと」ってなんだ?」ってなりますよね。
これは私自身の独特な言い回しで
何かしらを強く願うと、目を閉じているのに瞼の裏がものすごく強く光って、
なぜか「あ、願いが聞き届けられた。」と感じます。

そうしたら本当に願ったことが実現するんです。

そういう経験をたくさんして来た私は、
この現象を勝手に「ピカッと」というふうに呼ぶ様になっていました。

便利でした。
「ピカッと」が起きると何でもかんでも自分の思い通りになるので。

キモいですよね。
キモいんです。私。







それでね、
姉に連れて行ってもらった同級生の入院している病院の前でも、
「◯◯君が生き延びますように。」
と強く強く祈りました。

そうしたら「ピカッと」が来たので
「これで大丈夫。◯◯くんは助かる。」
と思い満足して家に帰りました。


数日後、
学校で担任が
「◯◯が回復に向かっているそうだ。医者はありえないことだと言っているらしい。奇跡が起きた。」と
また泣きながらクラスのみんなに報告していました。


それを聞いて私は
「『ピカッと』が来たから大丈夫って思ってたけど、やっぱり大丈夫だった。」と
当たり前のことのように受け止めていたので、
特に大喜びする様なことはありませんでした。

嫌なクソガキですね。(笑)


そのまま学生生活を送り、
件の男子学生もリハビリを終えて学校に復学しました。

でも後遺症が残ってしまったらしく、
新しいことを覚えることができなくなってしまっていました。

なので、
お勉強についていけずに留年し、
そこでもお勉強についていけずに結局退学してしまいました。


数年後、その男の子は施設のお世話になり、
障害者にお仕事を提供してくれる非営利団体でお仕事をしているらしいということを耳にしました。

「この先一生介助が必要らしい。」
とのことでした。

あっ・・・。
と思いました。

「命さえ助かれば良いってわけじゃないんだ。」



命が助かれば元の彼に戻るとばっかり思っていました。

まだ10代のクソガキだった私にはそこまで考えを及ばせることができませんでした。

彼の介助をするために彼の家族が一生苦労するかもしれないとか
彼のご両親が亡くなった後で彼はどうなるのか、とか
そんなことまで考えずに、
ただ「生き延びますように。」としか祈っていませんでした。






「ピカッと」をした後日、不動明王さまとおばあちゃんにひどく叱られました。
「お前、また何かやっただろう。」
「そういう行為を傲慢というのだぞ。」と。
(神仏には何もかもお見通しなのですね〜)

その男の子の命の代償に、家族の苦労や苦痛が伴うのだぞ。
と。

宇宙の法則では、
何かしらの利益を得たら、対等な負債も負う。のだそうです。
このケースの場合は、
彼が生き延びることで私にとってはメリットが全くない(むしろ嫌いな子だったので)
ので、その負債を、同じ様に生き延びてほしいと願いっていたご両親が引き受けてくれた
という形になるのだそうです。




今ふうに言えば「お前、そういうところやぞ。」ってやつです。



「だからそれをやめろと散々言って来たのに。自分が特別な存在であるという認識を捨てろ。」
「お前が祈ったせいで、一つの家族の運命をかき乱したんだぞ。」
と、めちゃくちゃ叱られました。




その一件以来、
私は「ピカッと」をやめました。

「ピカッと」、便利だったんだけどなあ。←お前、そういうところやぞ。





ちなみに、件の彼は、今も支援施設で働きながら、元気に生活しているみたいです。
旧友から聞きました。

友達と一緒に飲みに行くことができるぐらいにはなっているみたいです。


はあ、でももう2度と「ピカッと」はしません。
したくなるほど辛い時もあるけど、
そういう時は「ああ、罪穢消しさせてもらっているんだな・・・はあ・・・。」
と思いながら、嫌々ながらも
「喜ばねば・・・。」と思って目の前のダンジョンをこなす様に心がけています。


件の彼の現状の話を聞くごとに、
ひどく自省の念にかられます。

あの時、不動明王さまに叱られたのはこういうことか・・・。と
年齢を重ねるごとに重く重く受け止めています。

もう「ピカッと」はしません。絶対に。
便利だったんだけどね。←だからお前そういうところやぞ。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

コメント

  1. 深い話ですね。基本善悪問わず、やったことはやったように還ってくるとは思っていますが強い願いがそういうふうに作用するということもあるわけですね…

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