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一安心。 1

 閲覧いただき、誠にありがとうございます。 現在進行形でキモい霊感BBAです。 ご先祖供養を無事に行うことができました。 結果から先に言います。 ご先祖供養が始まった途端、常にあった吐き気が消えました。 なので、食事を摂ることができる様になり、 今後少しずつではありますが、元気を取り戻すことができるのではないかなと思います。 「この人優しいし気が合うし、いくらでも一緒にいられるわ〜。」 という感覚で私は5年ほど前にオットと結婚しました。 時々大規模な話し合いをすることはあっても 他者から妬まれる程度には仲が良いです。 なので、私の結婚生活は何も問題なし。モーマンタイね。と思っていました。 んが。 結婚して4年が過ぎた頃から、何やら、何かしらが起き始めてきました。 え〜、霊障です。 ああ、嫌だなあ。こういうの、昔もたくさん経験したよなあ・・・。 と思いました。 私の経験では、 志半ばで命を落とした母方の伯父さんとか、 その伯父さんに取り憑かれて命を落としてしまった母方のお婆ちゃんが浮かび上がってきて私に供養してほしいと訴えてきたことがありました。 (どちらもお亡くなりになったのは私が生まれる前の事です) 父方のお仏壇の件もかなり色々ありました。 そして前の夫の家のお仏壇の件でも、 色々ありました。 んで、 今のオットのおうちも色々複雑で、 ご先祖供養に関しても何かしらのややこしさがあるみたいでした。 実際にはおそらくお仏壇はあるのです。本家に。 でも、 夫のお父さんはご本人の母親のお兄さんが養子縁組をしてくれたという複雑な状況だったため、 本家のお仏壇及びお墓には入れてもらえていないのだそうです。 ん〜、難しい。 戦時中及び終戦後の混乱期のことなので、 色々あるのでしょうね。 そういうことは頭ではわかっているのですが、 霊的には「じゃあ仕方ないか。」なんてことにはならないみたいですね。 ある日私は浮霊してしまいました。 私の口を使って霊が勝手に喋り出したのです。 その人が誰だったかはご本人が名乗らなかったのでわかりませんが、 オットの感覚ではオットの父親の養父(オットのお婆ちゃんのお兄さん) だったのではないかなとのことでした。 そのご霊が話すには 「みんながみんな好き勝手していて、 このままではこの家が絶えてしまう。 頼む。この家を頼む。」 「せっかく我々の...

キモい体質の私の大きな後悔 4

 閲覧してくださり、ありがとうございます。 自宅にお仏壇をお迎えする準備などでしばらくドタバタしていて更新が滞っておりました。 お仏壇をお迎えするに当たって、また色々ありましたので、 これはまた別の機会にご紹介しますね。 さて、霊感に目覚めた友人に対して、 浮かれて今までの経験談をぶちまけて捲し立ててしまった私は結局友を失いました。 (チーン) 結論を先に言ってしまいました。 件の友人(今はもう友達じゃないので、彼女と記載させていただきますね)には 片思いの男性がいました。 私が話した「ピカッと」(自分の望みが実現する方法)のことについて、 彼女がそのやり方を聞いて来ました。 なので、 「目を閉じて強く強く願うんだよ。そうしたら頭のてっぺんの窓がパカっと開いて瞼の裏がピカッと光る様な感じがするから、そうしたら願いは叶うよ。私はもうやらないけどね。」 と、稚拙な説明をしました。 でもそれ以外に説明のしようがないんですよ。 「パカッと開いてピカッと光る。」以上。みたいな。 しばらくして、試してみたらしい彼女から 「目を閉じて願ってもピカッとが来ないんだよ。で、気がついたら眠っちゃってるの。」 と言われました。 「そうなんだ?おかしいなあ?」と私は答えました。 この時点で、私は自分のキモい体質に気づいていなくて やれば誰でもできると思っていました。 馬鹿ですね。 それからしばらくして、 彼女から 「好きな人から愛されるにはどうしたらいいの?」と聞かれました。 彼女は私がモテると思っていたみたいです。 というかまあまあモテる方ではありました。 男性にも、女性にも。 私はあまり深く考えることなく 「男性に依存しない事が大事だと思うよ。その男性のことを蔑ろにしてしまうほど夢中になれる何かしらを見つけるとか。」と言いました。 あと、私はいつも冗談で「将来はインチキ占い師になって荒稼ぎするんだ。」と発言していました。 本当は行者のおばあちゃんに「自分の霊感を使って金儲けしちゃダメ。絶対に。」と禁じられていたことなので、 実際に占い師になるつもりはありませんでした。 でも、 いつも私の真似ばかりをしていた彼女はなぜかそれを真に受けてしまったらしく、 スピリチュアル系の高額なセミナーに熱心に通う様になりました。 私は「ちょっと待って、冷静になろうよ。」と伝えたかったのですが、 ...

キモい体質の私の大きな後悔 3

 閲覧してくださり、ありがとうございます。 パワーストーンのパワーを感じるようになった友人は どうも親戚の叔母さんに頼まれて行った、 武田信玄をお祭りした信玄神社なる場所で何かを感じたらしく、 その時から、霊感的なものに目覚めたみたいでした。 ただ、 私はその時に、 「自分が霊感強『すぎ』なキモい人である」ということに気付いていませんでした。 仲の良いお友達が霊感に目覚めた! 「あっち方面」でも共感し合える仲間ができた! と思い、本当に舞い上がって浮かれていました。 そんなわけで、今まで経験したあんなことやこんなことや、 おばあちゃんのことや不動明王さまのことなど、 何でもかんでも、それまでの出来事をぶちまけるぐらいの勢いで色々話しました。 (全部ではなかったかもしれませんが。あまりにも色々あるので。) それまで経験してきた出来事や継続中の霊感、 そういうものたちが、自分1人で抱えるにはあまりにも重すぎて、 誰とも共有できないのが辛いと思っていました。ずっと。ずーっと。 要するに、私自身の弱さです。分かり合える仲間が欲しかったんです。 これがいけなかった・・・。 霊感に目覚めたかもしれない友人に私自身のそれまでの話を 「分かち合いたい」という一心でぶちまけてしまいました。 それほど、鬱積していたんですね。 でもこれが、 いけなかったのではないかと今の私は思っています。 霊感に目覚めたばかりの彼女の妬みを買ってしまったのではないかと思います。 当時の私は、自分の霊感が強いのは普通で当たり前のことで、 それが特別なことだとは思っていませんでした。 そしてその分野に関して「分かち合える仲間ができた!」 と無邪気に喜んでいました。 でも世の中には、 こういうことを「秀でている」というふうに捉えるタイプの人もいるんだという事を 私は知りませんでした。 霊感に目覚めたばかりの彼女は、 その時点であまりにもたくさんの経験をしてしまっていた私に、 何かしらの対抗意識みたいなものを抱いてしまったみたいでした。 私がそのことに気づくのは、 それから随分後の話です。 なにしろ、「仲間ができた」と勝手に浮かれて喜んでいたので。 続きます。 最後まで読んでくださってありがとうございました。

キモい体質の私の大きな後悔 2

 閲覧くださり、ありがとうございます。 私が自分自身をオカルト体質であると認識したのはかなり成長してからでした。 なにしろ「見えないタイプ」だったもので。 でも、 時々、 お亡くなりなった親戚のかたが挨拶に来たことは認識していましたし、 そのほかにもいろいろ普通ではありえない発言がありまして 「この子、おかしい。」みたいに言われることはかなり頻繁にありました。 このブログを「読みたい」と言ってくださった方のほとんどが 「私は見えないから霊感がないのですが。」 とおっしゃるのですが、 見えないほうが良いです。 私は見えないけど対話はできるタイプの人です。 気配を感じて相手が何を欲しているのがわかるので、 それに対して対応することが、ある程度はできます。 時々浮霊してそのご霊が実際に私の体を使って喋って何をしてほしいのかを伝えてくるので、 「見て見ぬ振り」ができないような状況にある場合もあります。 こういうのを、霊媒体質、もしくは憑依体質というみたいです。 とは言っても、彷徨っているご霊を霊界にあげてあげるなんてことは一人間如きにはできないので 「ごめんね、私には何も力がないから、どうしてあげることもできないんだよ。」 とお伝えします。 私にできることは、その程度です。 そんな無力な私にできることと言ったら、ご先祖供養ぐらいなもんです。 人間ができることなんて、その程度のものです。 行者のおばあちゃんは違いました。 なにしろ後ろに不動明王さまがついていたので。 幽霊って、何かしらの思いを残してこの世にとどまっている人で、 その想いってわれわれ生きている人間とほとんど変わらないので、 一方的に害悪を及ぼすためだけに存在しているっていうわけではないんですよね。 なので、そんなに怖がらないでいただけたら嬉しいです。 そんな私でもなかなか苦労が絶えないので、 見えちゃう人はもっともっと苦労しているのではないかなあ?と思います。 友人でもある、見えちゃうタイプの居候君は、見えちゃうけど対話ができないみたいなので、 相手がどこの誰で、どんな因縁があって、何をしてほしいのかが 全くわからないらしく、 ものすごく苦労しています。いつも。 ちなみに、霊のアタックを受けた時の症状は、 見える人でも見えない人でもほぼ変わりないみたいです。 首や心臓、肺あたりに衝撃を受けて、げえげえな...

キモい体質の私の大きな後悔 1

 閲覧くださり、ありがとうございます。 何から書いたら良いかわからないのですが、 私には色々後悔していることがあります。 人って、「自分は普通だ。」と思いますよね。 自分基準で 「あ、この人すごい。見習いたいな。」と思ったり、 「あ、この人可哀想だから何か手助けしてあげたいな。」とか。 今ではかなり一般的な通念になりつつあるのかな? それともスピ系界隈だけの常識なのかな? 「思考は現実化する」という考え方。 私はこの本(byナポレオンヒル)を読んだことはありません。 が、 「強く願い続ければ叶う。」 という経験を複数して来ました。随分と若い頃に。 そして、それを結構普通に日常的に行って来ていました。 でもこれはおそらく私の特異な体質のせいだったんだということに気付くのは またさらに随分と後のことでした。 高専生の時に、クラスメイトの男の子がバイクで峠攻めをして、 操作を誤って事故ってしまったことがありました。 その男の子は小学校〜中学校と一緒の学校の、同じ地元の子でした。 特別な感情はないというか、 逆になんとなく毛嫌いしあっている感覚があったので、 特別話をするとか仲良くするという感覚はなかったのですが、 小〜中〜高と一緒だと、なんとなく同胞みたいな気持ちになるもんなんですね。 ある日の朝、担任が「◯◯が多度志の峠でバイクで事故った。」 とクラス全員の前で言いました。 多度志とは、地元旭川で有名な、 走り屋さんたちがブンブン言いながら速さを競い合う、 険しくて色んな意味でおっかない峠でした。 担任は泣きながら 「頭を強打して、意識がない状態らしい。今集中治療室にいる。ここ2〜3日が峠だそうだ。」 と言っていました。 私はその時に、 「あっ!ピカってしに行こう。」と思いました。 車の運転ができる姉にお願いして、 翌日の朝、同級生の子が入院している病院まで連れて行ってもらい、 病院の前で必死に祈りました。 ここで、「ピカッと」ってなんだ?」ってなりますよね。 これは私自身の独特な言い回しで 何かしらを強く願うと、目を閉じているのに瞼の裏がものすごく強く光って、 なぜか「あ、願いが聞き届けられた。」と感じます。 そうしたら本当に願ったことが実現するんです。 そういう経験をたくさんして来た私は、 この現象を勝手に「ピカッと」というふうに呼ぶ様になっていました。 便...

おばあちゃんの娘さん

 閲覧してくださってありがとうございます。 行者のおばあちゃんとの日常のお話をしようかな〜と思っているのですが、 日常的にオカルトな日々を送っていたので、 果たしてほっこりする様な話になるかどうか、ちょっと疑問です。ごめんなさい。 おばあちゃんのおうちは2軒続きの長屋の様になっていました。 賃貸だったのか、持ち物件だったのかは認識していませんでした。 お隣にはおばあちゃんの娘さんがおばあちゃんの2人の孫さんと一緒に暮らしていました。 おばあちゃんの娘さんは資産家の旦那さんのDVによって離婚を選択したらしいです。 ただ、旦那さんのお母さんが 「うちの息子がこんな事をしたのは我々親が甘やかしすぎたせいだ。この責任はちゃんととる。子供達が成人するまでは我々が責任を持って養育させてもらう。」 と申し出てくれたのだそうです。 なので、子供達が小さい間は無理に働くことなく、生活をしていくことができたみたいです。 おばあちゃんの娘なだけあって、娘さんも何かしらの霊的な現象が非常に多い方でした。 彼女の後ろの方(守護さま)も龍神さまだったそうです。 ある時期、眠ろうとして目を閉じたら瞼の裏にものすごく恐ろしい顔がバン!と浮かんできて おちおち眠ることができない状況が続いたのだそうです。 そのことを行者のおばあちゃん(自分の母親)に相談しましたら おばあちゃんが不動明王さまにお伺いを立ててくれたそうです。 そうしましたら 「お前の娘の身の危険を知らせるために娘の守護龍神が警告したのだそうだ。」 とのことでした。 娘さんは 「それにしてもあまりにも怖くて眠るのが怖くなってしまった。おかげで寝不足だ。」 と文句を言ったのだそうです。 そうしたら不動明王さまは 「なにしろ警告だからな。不安にさせないといけないので恐ろしい面相に化けたのだそうだよ。」 と言っていたのだそうです。 そのお話を聞いたときは 「ふ〜ん、そんなこともあるんだ。」と思って雑談のように聞いていました。 それからしばらくして、 おばあちゃんの娘さんに癌が見つかりました。 「守護さまの警告ってこのことだったのかな・・・。」 と感じました。 治療に専念しようにも、子供が小さくて手がかかるので 「どうしたものか」と頭を悩ませたそうです。 そうしたら、娘さんにDVした元夫のご両親がある提案をしてくれたのだそうです。 (おば...

悲しみ

 閲覧いただき、ありがとうございます。 昨日の記事では行者のおばあちゃんとのほっこりエピソードを書くと発言しましたが、 直近で私が経験したことを書こうと思います。 最近の私は、ひどく悲しい気持ちに苛まれることが多い状況でした。 「更年期鬱かな?」と思いましたが、 私の性格上、あんまりありえないよなあ?とまるで他人事の様に考えていました。 なぜなら、 「このままでは死んでしまう。」という発言はしたことがあるけど、 「どうせ私なんか死んだ方がいいのよ。」とか 「死んでしまいたい。」みたいな思考とか発言はほぼないので。 原因がなくてただ悲しい。 「更年期による情緒不安定かな?」 「更年期による自律神経失調症かな?」 など色々考えてやり過ごそうとしていました。 が、また夢を見ました。 各駅停車の電車に乗ってどこかに行く夢です。 夢の中の私の目的地は高円寺の自宅のはずなのに、 全然知らない土地で、電車は海沿いを走っていました。 山を抜けたら真っ青な海が見えて、岩礁が見えたりしていました。 夢の中で私は「どこに行くんだろう?」とすごく不安でした。 翌日、寝ようと思ってベッドに入りましたら また、あの青い海と電車の映像が蘇って来ました。 そこに悲しみの気持ちも乗っかって来ました。 ああ、最近私が感じていた悲しみの感情は、私自身のものではなかったんだな。 ということを知りました。 実は、 オットのおばあちゃん、 仮にH子さんとしましょう。 が台湾の日本統治下の時期に台湾で生活していたことがあるのだそうです。 私もオットも台湾がどんな歴史を持っているのか全然知りませんでした。 なので調べてみましたら、 台湾の鉄道は海岸線をぐるりと周回するような形だということを知りました。 夢の中で、とっても青い海が非常に印象的だったので、 北海道や日本ではない様な気がする、とは思っていました。 オットのおばあちゃんが台湾を引き上げて日本の、実家に帰って来た時に、 2人の男の子を連れて帰って来たのだそうです。 そのうちの1人がオットの父です。 子供達の父親に関してどんなに問い詰められても、 H子さんは決して口を割らなかったのだそうです。 実家にはもうH子さんのお父さんは亡くなっていたらしく、 跡を継いだお兄さんが「この子達は自分の養子として育てるよ。」と言ってくれたのだそうです。 優しさに溢れ...

嘘のような本当の話

 閲覧くださり、ありがとうございます。 今日は居候君から聞いた不思議な経験談をご紹介しようと思います。 これは私が実際に経験したわけではなく、居候君の経験談なのですが、 居候君が「自称霊感が強い人」ではないと私自身も知っておりますので、 多分本当のことです。 自分が経験したことではないので、一応「多分本当のこと」とさせていただきますね。 (無駄に疑り深い) 居候君が大学生だった頃の話だそうです。 仲良しの男女4人でキャンプだったかBBQだったかに行ったのだそうです。 山梨県の方って言ってたっけな。 居候君はお酒を飲めない体質なので、運転をになっていたそうです。 帰りましょうということになって、片付けをして車に乗り込んで、 帰り道を車で走っていたら、 ずっと一本道なのにいつまで経っても広い通りに出ないのだそうです。 「おかしいなあ?」と思ったそうです。 後ろの席の女の子たちは居眠りしていたのだそうですが、 「そろそろ地元に着く頃かな?」みたいな感じで目を覚ましたそうです。 それでもまだ山道を出ていないことにびっくりして「どうなってるの?」と騒ぎ出したのだそうです。 帰る予定の時間に娘さんを送り届けられないのは良くない、と判断し、 居候君はそれぞれのお家に「道に迷ってしまって帰りが遅くなります。」と連絡したそうです。 走っても走ってもずっと一本道で、迷い様がないよなこれは。と居候君は思ったそうです。 そのうちに決まった感覚で、赤い鳥居の前を通っていることに気付いたのだそうです。 「あ、同じ道を通ってる!どうしてだ?一本道なのに!」と居候君は焦ったのだそうです。 同乗していた友達たちもそれに気付き、車内はパニック状態になったそうです。 しまいには別に何も操作していないのに、車のパワーウィンドウが開いたりする始末。 女の子たちは怖がって泣き叫ぶ始末。 助手席の男友達もパニック状態。 もちろん居候君もパニック状態。 そんな状況がしばらく続いたのだそうです。 しばらくしたら広い道に出たのだそうです。知らない間に。 午後4時ごろにはそれぞれの自宅に送り届けられるような予定だったのに、 結局送り届けることができたのは10時過ぎだったようなことを言っていました。 霊感が強いことで有名な、八代亜紀さんとか稲垣淳二さんが同じようなことを話しているのはなんとなく知ってはいたけど、 ...

すごい霊障

 閲覧くださいましてありがとうございます。 さて、ここからは居候君を襲ったすごい霊障のお話をしようと思いますよ。 まずは私が経験した実際にその場に立ち会ったお話をしようと思います。 東京に来て、霊感が強い同士であっという間に仲良くなりました。 古巣の東京事務所がまず、すごく霊的にキツい場所でした。 何しろ日本橋人形町という場所だったので。 霊的なことがあんまり気にならない人にはわからないと思いますが、 歴史の古い場所ほど、霊的にもキツいという傾向があります。 その上で、 古巣の東京事務所は、特に何かしらの何かしらがとっても強い場所だったみたいです。 霊的なやつね。 井戸があった場所を埋め立てたのかなあ? と思うぐらいに何かしら(霊的な)がキツい場所でした。 そのせいか、東京事務所の前任者の方は鬱を患ってしまい退職してしまったようです。 「欠員が出た」とのことで、私が東京事務所の常駐スタッフとなりました。 ぽー◯すみす的な何かしらのブランドの製品を作る業務を担う会社の人として居候君は 古巣の東京店に出入りしていました。 んで、ある日、唐突に 「オガワさん、霊感強いでしょ。」と言われまして、 「自称霊感強い人」にはお互いに今までたくさん出会ってきていましたのですが、 お互いに「あ、この人本物だわ。」と思ったせいか、あっという間に打ち解けました。 東京事務所での業務は 私に取っては非常にストレスフルなものでした。 社長の本質なのか霊的に左右されているのか、 非常に翻弄されて体調を崩しました。 なので、自分を生きさせるためと、娘を養い続けるために、 古巣のテキスタイルメーカーを辞めることにしました。 錚々たる超有名なブランドさんと取引をしていた会社だったので、 勉強になることこの上なし、と思っていたのですが。 それよりも自分の身の安全を確保することが重要だ。と思いました。 そして、蔵前の事務所を偶然見つけて、そこを契約してWildberry業務を再開することにしました。 居候君は蔵前の事務所を整えるときに、協力してくれました。 作業台を設置したりとか、 車を出してくれて色々運搬してくれました。 そして人心地ついた時に事件が起きました。 居候君がいきなり調子が悪くなったんです。 「あれ?あれ?大丈夫かな?」と思って心配していましたら、 どんどんと具合が悪くなってしまい...

霊感とは

 霊感が強いと聞くと、幽霊が見えちゃう人のことを言うのかな〜と思われる方がたくさんいらっしゃいます。 実際に日常的に幽霊が見えちゃう人もいらっしゃいますが、 私は幽霊はあんまり見えません。 たまに見えるぐらいの程度です。 以前は事務所で使うパソコンはデスクトップでモニターの大きなものを使っていました。 でもそのパソコンがつぶれた時に、ノート型に買い替えました。 ノートの方が高かったのですが。 理由はモニターが小さいからです。 モニターが小さいと、PCと自分との距離が近くなります。 なのでBBAで近視な上に老眼も始まっていますが、ノートPCにしました。 多分、今のPCがご臨終になっても、次に買い換えるのもノートPCだと思います。 これは何故かと言うと、 夜に事務所で1人でPCに向かっていると 自分の後ろに何かが映ることがたまにあったからなんです。 普段ほとんど見えないし、肉眼で見えても「気のせいかな?」でスルーしてくることができていたのですが、 1人しかいない事務所の中で、PCのモニターに、 自分の後ろに何かしらが映るとギョッとします。 時には人だったり、時には影だったり、 形態はいろいろです。 でも私は基本的には「みえない」と言うスタンスを貫いています。 ですが、私は霊に憑依されやすくて霊が何を訴えたいのか、何を欲しているのか、どんな気持ちでいるのか、を感じ取ったり代弁することができます。 いわゆる「イタコ体質」と言うやつです。 蔵前の事務所に一時期居候していた居候君は霊がバッチリみえちゃうタイプの人です。 見えすぎちゃって困るわ〜(昭和の人なら知ってるかなあ?)なタイプの人です。 一時期、一緒に活動をしていたことがあり、 一緒に行動する機会がたくさんありました。 その時に、 居候君が 何かに目をやっているのを見ると、 居候君が何を見ているのかがわかると言う現象が起きました。 例えば、居候君がとあるマンションを見上げた時に 肉眼では見えませんでしたが彼が見ている光景が私にもビジョンとして入って来ました。 「◯階の外廊下に男の人が3人いるね。作業員っぽい上着を着てネクタイをしている。」 と言いましたら、 「え?見えてるの?」 と言われました。 「見えないけど、君が見ているビジョンが伝わってきたよ。」 と言いましたらものすごく驚かれました。 他の日には とある空...

おばあちゃんの教訓 3

 閲覧してくださりありがとうございます。 行きたくもない高専に無理やりぶっ込まれて、というと、 これまた高専でも「行きたくても行けない人がいるのに。」という発言が出てくると思います。 実際に高専の教官や教授も 「やる気のないお前なんかが入ったせいで入りたかったやる気のある奴が1人落ちたんだぞ。」 と言われました。 あと、 中学生の時に仲良くしていたバンド仲間の子が H高を受験して、一番最後の順位で合格したのだそうです。 同じ中学の子達に、 「お前あいつ(私のこと)がH高受験を辞退したから合格できたんだぞ。あいつに感謝しろよな。」 と言われていたのだそうです。 「お前のせいで1人落ちて1人の人生を台無しにしたんだぞ。」も 「お前のおかげで合格できた。人生ひらけた。」も 当時の私の心には響きませんでした。 そんな中、死んだ魚のような目をしながら毎日を生きていました。 高専4年生になった時には青田刈りと言って、企業から求人の何かしらが頻繁に行われるのが当時の慣例でした。 4年生の夏休みにインターンシップと言って研修に行ったら、ほぼそこの会社に就職が決まるというシステムでした。 私もインターンシップのオファーがありました。 ソニーマグネプロダクツという会社にインターンに行ってみないか?と言われました。 ソニーってビッグネームじゃん。 とは思いましたが、 正直な気持ちは嫌で嫌で仕方がなくて泣きました。 結局、自分の意思でソニーのインターンシップを断りました。 先生の顔に泥を塗りました。 そんな日々の中でお勉強は全然しないのにたま〜にすごく良い点数を取ってしまうみたいなことはありました。たま〜に。 そうしたら 私に対して「お前さっさと辞めろよ。」と言って来ていた先生が 「お前やっぱりやればできるんだな!見直したぞ!今回のテストではお前が最高得点だ!」みたいな言葉をかけてくれたりしていたのですが、 私の心はもうすでに死んでいたので、 嬉しいという気持ちは湧いてくることはありませんでした。 そんな泥のような気分を味わいながら霊障と戦う日々を送っていました。 おばあちゃんに会った時だけ、 本当に人として扱われているような気がしてすごく嬉しかったのを覚えています。 なので、どんなに厳しいことを言われてもおばあちゃんのことを悪く思うことはありませんでした。 その奥に愛情があったの...

おばあちゃんの教訓 (伏線)

 閲覧していただき、ありがとうございます。 ここで伏線をお知らせしておきます。 ここをちゃんと説明しないと、前回のお話から続く出来事がなぜ「転機」になったのか、 印象が曖昧になってしまうかな〜と思ったので。 ちょっと話はそれますが、よかったらお付き合いくださいね。 私は実は高専に行きたかったわけではなく、公立の進学校に行きたいと思っていました。 医者になりたかったので、医大に行きたいと思っていました。 そのためには地元の国立医大への進学率が一番高い地元の公立の進学校に行くのが一番良いと思っていました。 目的は進学校へ行くことではなく、医者になることでした。 ですが親の意向で進学校に願書を出させてもらえませんでした。 「H高(進学校)に願書書くからね?」と親にはずっと以前から何度も確認していました。 「入れるもんなら入ってみな。あとでなきをみても知らないよ。」 と親は言っていました。(ネグレクトされ気味の子供でした) 内心点的にも、学力的にも「受からないはずがない」と自信がありましたので 滑り止めの併願は受験しないつもりでした。 願書を提出する期限の前日にいきなり「H高はダメだ」言われました。 理由は「医大なんかに行かれたら金がかかって仕方がない。」からだそうです。 当時の国立医大の学費は年間30万でした。 国立なので、学費は一律でした。 「進学校に行かせてもらえないのだったら高校なんか行かない。」と私もかなり食い下がりました。 「市内の2番目の公立校だったらいかせてあげる。あの学校からも医大へ進学することはできるでしょ?」 と言ってくる親。 2番目の高校と進学校、偏差値や進学率は段違いで違っていました。 田舎あるあるですね。 親としては2番目の高校に行かせることで医大には到底届かない偏差値まで落とさせる目論見だったのではないかと思います。 昔から、言い出したらテコでも動かない性格だった私は (これは志半ばで亡くなった叔父さんの性質を受け継いでいた物と思われます) 「H高(進学校)受けさせてもらえないのなら高校には行かないから。」と言って 明日が提出期限だった受験願書をぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨てました。 翌日、「なんでお前だけ願書未提出なんだ?」と担任に言われても何も答えませんでした。 私が泣き腫らした目をしていたので、 担任は「何かあったな。」と察したみ...