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9月, 2023の投稿を表示しています

宗教に入ったけどやめた話 5

  閲覧してくださり、ありがとうございます。 オカルトBBAオガワです。 さてさて、前回のお話の続きです。 自分の口から自分の知らない情報がどんどんと喋られるという状況に愕然としていたわけですが、 まあ、世間知らずでおバカな女子高生だった私は 「何が起きているんだろう?」とびっくりはしたのですが、 だんだんと 「え、私、龍神様3体も背負ってるの?なんかすごくない?」 な〜んて調子に乗り始めました。 本当におバカですね。 でもね、すごく小さな頃から、自分は何かしら龍みたいなものすごい力を持った何かしらを背負っているのではないかなという認識はありました。 でも明確なものではなかったので、 「自分の妄想だろうな。」とも思っていました。 おばあちゃんと青龍神様とのお話が終わって、私自身が戻って来た時に おそらく私のドヤ顔を察したんでしょうね、 おばあちゃんが釘を刺しました。 「あんたねえ、守護霊じゃなくて龍神様が3体も守護様としてついているということは大変なことなんだよ。」 と。 当時無知で世間知らずだった私は 「へえ〜!私ってすごいんだ〜。」 と完全に浮かれていました。 「だからそういうところだよ!あんたは本当にすぐに調子に乗るから!バカにも程がある!」 と叱られました。 「へ?なに?どういうこと?」 と思っておののいていましたら おばあちゃんは言いました。 「龍神様を3体もつけないと守れないぐらいにあんたは業(ごう)の深い魂だっていうことなんだよ。 調子に乗っている場合じゃないよ。」と。 「ごうが深い」ってどういうこと?わかんないよ?なんだそれ? 当時の私は、おばあちゃんが話す言葉に対してものすごく興味津々で、 何でもかんでも乾いたスポンジかもしくは乾いた砂のように吸収したくてたまりませんでした。 多分私とおばあちゃんはとっても相性が良かったんだと思います。 どんなに叱られてもおばあちゃんのことを大好きなまんまで嫌いになんかならなかったし、 そんな私をおばあちゃんはとっても可愛がってくれていたように思います。 何よりも 好奇心が刺激されて 「またおばあちゃんに会いにいきたい!」と思う日々でした。 続きます。 今日も読んでくださりありがとうございました。

宗教に入ったけどやめた話 4

閲覧してくださり、ありがとうございます。 オカルトBBAことオガワです。 さてさて、前回のお話の続きです。 当時の私は、龍神さまの存在を知りませんでした。 なので自分の口から発せられた言葉に 「龍神?なんじゃそりゃ?」と思いました。 しかも龍神さまに色があるなんてことも一切知りませんでしたので 自分の口から発せられる言葉なのに、 「私を蔑ろにして、何喋ってるんだ?この人たちは?」と思いました。 ぶるぶる震えながら号泣している自分が発する言葉に 自分自身が「何それ?」と思うという、非常に奇異な状況に陥っていました。 おばあちゃんが 「この子の守護さまは何体いらっしゃいますか?」と言いました。 すると私の口が「3」と言いました。 「はい?3?それってなんのこと?」と私は思いました。(すでにアウェイ) おばあちゃんは 「では他の龍神さまは何龍神さまなのですか?」 と聞きました。 そうしたら私の口が「赤と白。」と答えました。 私は「何それトリコロールや〜ん。なんかおっしゃれ〜。」と思いました。(バカ) おばあちゃんは丁寧な口調で 「この子を道場に行かせたくないとお思いですか?」と言いました。 私の口が 「いかにも。もう2度と関わらせたくない。あそこに行くとこの者の魂が汚れる。 ここまで洗浄するのに、我々がどれほどの苦労をしてきたことか。」 と言いました。 そうしておばあちゃんの家がまたガタガタと震えだしました。 世間もものも知らないJKだった私は「なんかよくわからないことが起こっているぞ。」 としか認識できませんでした。 その上洗浄ってなんじゃそりゃ?とも思いました。 不思議と、怖いと言う感覚はありませんでした。 好奇心の方がまさっていたのかもしれません。 その時の私は、 自分に起きている現象に、 「なんだなんだ?何が起きているんだ?」と言う気持ちだけでした。 続きます。 最後まで読んでくださってありがとうございました。

宗教に入ったけどやめた話 3

 閲覧くださりありがとうございます。 もうこの辺まで来たら「いやもう受け入れられない。無理無理。」ってなる方がどんどん増えてくるんじゃないかなと思います。 無理って思ったら読むのをやめていただいて全然大丈夫ですので、 無理なさらないでくださいね〜。 逆にこんなに奇異な私でごめんなさい。と言う気持ちです。 いやいやもうねここまで来たら本当にこんなことを書いて良いものかどうなのか、 本当に躊躇するのですがね、 身体中が激痛に苛まれるのを覚悟で、書きます。あ〜なんかごめんなさい。 (誰に謝ってるの?) おばあちゃんが私の体を使って自己主張したがっている何かしらの誰かしらに対して 語りかけてくれました。 「 霊ではありませんね?あなたはどなたさまですか?」と。 そうしたらですね。 私の口が勝手に喋りだしたのですよ。 ぎゃ〜!オカルト!ど真ん中! 「いかにも。」私の口は勝手に喋りだしました。 この時私の意識ははっきりしていました。 おばあちゃんは慎重に、 「龍神さまですか?」と言いました。 そうするとまた私の口は勝手に 「いかにも。」と言いました。 おばあちゃんは「それは大変失礼いたしました。ご無礼をお許しください。」 と言いました。 そして、 「このものの口を使って何をお伝えになりたいのですか?」 といいました。 そうしたらですね、 私が泣き始めました。 体をぶるぶると震えさせて、号泣し始めました。 「道場幹部の我と慢心には堪え兼ねる。この者をあんなところには行かせたくない。」と。 おばあちゃんは 「それでこの子を道場から遠ざけていたのですか?」と言いました。 「いかにも。 我々がどんな思いをしてこの者の魂を磨いてきたか。 それをあの者たちは全てダメにしてしまう。」 おばあちゃんは 「あなたはこの子の守護さまですか?」と聞きました。 「そうだ。」 するとおばあちゃんは 「あなたは何龍神さまですか?」と聞きました。 すると 「あおだ。」 と。 そうするとおばあちゃんは 「この子の守護さまは何体いらっしゃいますか?」 と言い始めました。 私は全く理解ができずに 「何が起きているんだ?なんだこの展開は?」と思っていました。 続きます。 最後まで読んでくださってありがとうございます。 これも全部実際に経験した話なんですが、 もうね、ドン引きされるよね・・・。と言う気しかしま...

宗教に入ったけどやめた話 2

 閲覧していただきありがとうございます。 霊障が強くて困っていた私は、「霊障解消」を謳う宗教団体に所属したのですが、 そこに所属する人たちのしがらみとか嫉み的なものに嫌気が差し その宗教団体の施設、「道場」から足が遠のきました。 でも私は道場長のお気に入りだったので、 「たかみちゃん最近来ないね。どうしたの?」と言われるようになりました。 「私は道場長のお気に入りだし、道場にはできるだけ行かなくちゃ。」 と頭では考えるのですが、 足が向きませんでした。 そんな状況の中で、私自身が悶々としていました。 でもおばあちゃんの家にはよく行っていました。 その時にはもうすでに、私は完全におばあちゃんに懐いていました。 なので、 どんなに厳しいことを言われても 「ふんだなにさ、おばあちゃんなんて嫌い。」みたいな気持ちにはなりませんでした。 何しろ、 どんなに厳しいことを言われても、 「ああ、私のことを思って言ってくれている言葉なんだなあ。」と思えました。 なんていうか、耳の痛いことを言われても、 決して間違えたことじゃないということが理解できたし、 自分都合で相手を操縦しようとするような言葉じゃなかったし、 何よりもおばあちゃんが私を可愛がってくれているのが感じられたからです。 そんな感じで、いつも通り、おばあちゃんと不動明王さまに会いに行ったある日、 帰ろうとした時に、 なぜか気持ちがものすごくモヤモヤして帰りたくなくなりました。 おばあちゃんの家から私の家まではバスを乗り継いで帰るのですが、 どうしてもそのバス停まで行けませんでした。 「おばあちゃんの旦那さんが帰ってくる時間だから、おばあちゃんも夕飯の支度しないといけないし、迷惑かけちゃいけない。」 と思ってはいたのですが、 どうしても、歩いてほんの数分のバス停まで行けなくて、 またおばあちゃんの家に行きました。 おばあちゃんの家のチャイムを鳴らしたら おばあちゃんが 「戻ってくると思っていたよ。何か自己主張したい人がいるみたいだね。」 と言いました。 おばあちゃんは不動明王さまの祭壇の前で私の後ろで自己主張したがっている誰かしらに話しかけました。 「いったい何を訴えたいのか?人の口を使って言いたいことを伝えることがいけないことだとはわかっているだろうに。」と厳し目に。 そうしたら、 おばあちゃんの家がガタガタと音...

宗教に入ったけどやめた話 1

 霊障が強すぎて如何にもこうにもならなかった時期に、 姉の彼氏のニダリンのお師匠さまの勧めで 「霊障解消」を謳うとある宗教に藁をも掴む思いで所属しました。 (おばあちゃんと出会う少し前です) 霊感が強かった私は神仏にお参りするのが好きで、 「お参りしたらなんかスッキリする〜。」という感覚を覚え、 「ここ好き。」と思い、 楽しいから、という理由でかなり頻繁にその宗教団体に通っていました。 そこは仏教系ではなく、神道系の宗教団体でした。 母方の伯父の浮霊事件で 「目に見えない世界がある。」と知った両親も、 同じ宗教に所属しました。 その時に3人目のおばあちゃんに出会って、 私はおばあちゃんのところにも足繁く通っていました。 おばあちゃんの家は 狭くて古くて生活感が満点でしたが空気が澄んでいて楽しいと感じていました。 その空気を吸いに行っていた、という感じでした。 霊感が強い私は その前に所属した宗教団体の、地方支部の一番偉い人(道場長)のお気に入りになりました。 「貴美ちゃんはすごいよ。貴美ちゃんはいいよ。貴美ちゃんは面白いよ。」 と他の信者さんの前でも、いつも言っていたのだそうです。 私自身は偉い人からそんなにもてはやされているなんてあんまり認識していなかったので、 自分自身は普通にしていたつもりでした。 でもだんだん他の信者さんからもチヤホヤされるようになって 「なぜだろう?」と思うようになりました。 まあ、後から知ったんですがね。私が道場町のお気に入りだったから、だったみたいです。 そのうち、道場長から 「貴美ちゃんは素質があるから幹部になれ。本州にある本部の訓練部で修行をしろ。 私が推薦するから直接訓練部に入れるよ。」 と言われました。 え、何それ。訓練部?修行?幹部候補生?嫌だよそんなの。 と思いました。 それぐらいの時期に、 道場長のお気に入りだった私に対して、 別の幹部さんからの嫌がらせが始まりました。 妬みですかね。。。 人前で諌められることがあって、「なんか嫌。」と思うようになりました。 宗教団体の訓練部に行って修行するのも嫌だし、幹部候補生になって全国津々浦々にある「道場」に派遣される(教育実習生みたいですね)のも嫌だし、今通っている道場の他の幹部さんから嫌がらせを受けるのも嫌だし。 何もかも嫌。 人を幸せにするために宗教って存在しているんじ...

自分たちでどうにかした話 2

 閲覧してくださり、ありがとうございます。 昨日書いたお話の続きです。 「ご先祖供養をちゃんとするように両親を説得しますからどうか父親を連れて行かないでください。」 と無力な私は一生懸命お仏壇にお祈りしていました。 しばらくしてボウボウと大きな炎を出していた蝋燭は、 普段の常識的な炎の大きさになり、 父親の体調もおさまりました。 ああ、よかった、助かった・・・ と思いました。 ご先祖さまに約束してしまいましたので、 自分の家の、父方のおばあちゃんが置いて行ってしまったお仏壇もご先祖供養をすることになりました。 北海道の、旭川の、江丹別という山奥の小さな町の、お寺のお坊さんに来てもらって お仏壇の中をちゃんとしてもらう(言い方)ように、両親を説得しました。 私の実家のお仏壇には木彫りの観音像と、 後光が差している大仏(多分大日如来)の掛け軸が下げてありました。 念の為に行者のおばあちゃんに相談しに行きましたら 「仏壇の中に仏様が2体も祭られていたのだったら、そりゃあご先祖さまも窮屈で仕方なかっただろうね。観音像と大仏様の掛け軸はお坊さんにお願いして魂抜きをしてもらって撤去してもらいなさい。やり方はお坊さんが知っているはずだから。」 とアドバイスしてくれました。 また、 私の実家のお仏壇には、亡くなったおじいちゃんのお位牌しかなく、 先祖代々のお位牌がありませんでした。 この時は多分、お仏壇屋さんに行って先祖代々の黒塗り金文字のお位牌を作ってもらったように記憶しています。 おばあちゃんからのアドバイスでは、 「お位牌はお坊さんに魂入れをしてもらうまでは絶対に立てちゃいけないよ。 布で包んで、横にして運ぶんだよ。」 とのことでした。 ヘェ〜そうなんだあ。 知らないことばかりでした。 実際に仏壇の観音像と掛け軸の魂抜きの御祈祷をしてくれた後、 お坊さんは観音像を白い生地に包んで、横にしてお仏壇から外してくれました。 「これはお寺に持ち帰って御祈祷してからお焚き上げしますね。」と言ってくれました。 母方のお家と、お経の文言も違っていたので、宗派は違うと思うのですが、 「言ってること、やってくれること、ほぼ一緒だ。」と思いましたよ。 う〜ん、母方の実家のお坊さんは「はんにゃーはーらー」みたいなお経だったのに対して、 父方のお坊さんは「あーぶなむあみだー」と唱えていたよう...

自分たちでどうにかした話 1

 閲覧いただき、誠にありがとうございます。 前回の記事では、母親の実家の先祖供養のやり方を行者のおばあちゃんに教えてもらって、 その通りにお坊さんに依頼して執り行ってもらったというお話をしました。 蝋燭がボウボウとすごく大きな炎を出していて その場にいた一般人の我々はものすごくビックリしました。 お坊さんはシレッとしていましたので、お坊さんにとっては日常茶飯事なんでしょうね。 ご供養の仕方も教えてもらいました。 お仏壇屋さんには、実はミニお膳なるものが販売されていて、 家族が食べる食事そのままのメニューを盛り付けて毎日お供えするのだそうです。 ご飯、おかず、汁物、サラダ、なんでもいいのだそうです。 あとはお水、家族がお酒を飲むのならおそらくご先祖さまもお酒を嗜まれる方がいらっしゃるからお酒も、 みたいな感じで、 自分たちと同じものをお仏壇にお供えして良いとのことでした。 その際は、お鈴を2回鳴らして、 お位牌があるご先祖さまに関しては生きていた時の名前でいいので、 心の中で呼びかけて、 他にも先祖代々の皆さま、みたいな感じで呼びかけて 「皆さんで召し上がってください。」と手を合わせてお祈りするのだそうです。 お鈴を2回鳴らしてお知らせするって、パブロフの犬かよ。 と高校生の頃の私は思いましたよ。 バチ当たりで生意気なクソガキでしたね。(笑) 季節のものを買ってきた時とか、 お土産をいただいた時などは 包装紙から出してすぐに食べられる状態にして、 洋菓子やフルーツの場合は小さなフォークを添えて やっぱりお鈴を2回鳴らして「皆さんで召し上がってください。」 とお祈りするのだそうです。 「箱のまんまで仏壇の前にどん!と置かれてもご先祖さまは見せびらかされているだけで食べられませんからね。」 とのことでした。 へえぇ〜知らなかった! てか、当時の私は高校生ですもんね。 知らなくても仕方ないよなあと今、当時の自分の母親よりも年上になった私は思います。 そういうふうに、お坊さんからご先祖供養の方法を丁寧に教わった 母親の実家の農家を継いだ母のお姉さん(私の伯母さん)は、 文句を言うことなく毎日粛々とご先祖供養をしてくれるようになりました。 農家のお仕事ってすっごく忙しいのにね。 本当によく引き受けてくれたなあと思います。 感謝しかありません。 それから母親の実家関係の私...

3人目のおばあちゃんその8

 閲覧くださり、ありがとうございます。 前回のお話の続きです。 私の母の実家のお仏壇のお位牌がどんな状況になっているのか、 なんでおばあちゃんはわかったんでしょうかね? その前に繰上げ位牌(くりあげいはい)ってなんだ? 当時高校生だった私は、 おばあちゃんが言っていることの内容がチンプンカンプンでした。 その前になんで母親の実家のお仏壇のことをおばあちゃんが知っているんだろう? とそこもとっても不思議でした。 私の母親はとっても負けず嫌いでプライドが高い人だったので、 他人から自分のいけてないところを指摘されるのがものすごく嫌いでした。 なので、おばあちゃんから、自分の実家のお仏壇のことをあれこれ言われて相当頭に来たと思います。 スケープゴート的な立場で、ネグレクトされがちだった私は 母親のその心の機微にビクビクし通しで、 その度に「私が浮霊さえしなければこんな恐怖(母親からの圧)は感じないで済んだのに・・・。」 と、ひどく罪悪感を感じていました。 行者のおばあちゃんは 亡くなって30年経つ方の霊は「先祖代々」のお位牌に入っていただくように、 亡くなってまだ30年経っていない方に関してはそれぞれの戒名を書いた 黒塗り金文字のお位牌をそれぞれご用意して、そこにお移りいただくように。 と母親に指示しました。 「やり方がわからない」という母親に対して、 「お世話になっているお寺さんに言ったらすぐにやってくれるから大丈夫だよ。」 とおばあちゃんは言いました。 負けん気が強くて非常にプライドが高い母は、 この出来事をとても屈辱的なことと受け取ったようです。 実家の農家を継いだ姉に、ことの経緯を話しました。 実際に母親の実家のお仏壇は、 白木に黒文字の繰上げ位牌でした。 繰上げ位牌とは、 戦時中に、 お位牌を持って逃げるというシーンを見たことがある方が多いのではないのではないかと思うのですが、 白木に黒文字のうっす〜いかまぼこいたのようなものを、 小ぶりな箱に重ねて入れた、簡易的なお位牌のことなのだそうです。 持って逃げやすいように。 まあ、現世で言ったら通勤ラッシュの電車の中みたいな状況で、 その中で、 「◯◯さ〜ん!出てきてください!」と呼ばれても 「いや、動けないし。出れないし。」というような状況なのだそうです。 しかも 白木に黒文字の位牌は、 言ってみたら仮の住...

3人目のおばあちゃんその7

 閲覧いただき、ありがとうございます。 昨日のお話の続きです。 強めのパーマのおばあちゃんに、両親が怒られてしまったせいで 母親がひどく機嫌を損ねてしまった状況で、私は縮み上がるような気持ちで おばあちゃんのお家へ伺いました。 そこには、小さな祭壇が設えてあり、小さいながらとても繊細で精巧な不動明王像が鎮座していました。 そこで、すごくいろいろなことを聞かされました。 まずは おばあちゃん自身が「自分は霊能者ではない。」と言ったこととか。 私が浮霊して自分のコントロールを失ってしまった時、 その霊を大きなお数珠に閉じ込めて、 家に帰ってから不動明王さまに霊界にあげてもらったこと。 「私には何の力もないんだよ。不動明王さまがしてくれたことだ。」と言っていました。 それは伯父さんの霊が上がってきた時も、祖母の霊が上がってきた時も同じだったようです。 それを話してくれた上で、母親に、 「あんたの実家の祖霊祭りがちゃんとできていない。」 と言いました。 母の実家には大きな仏壇があって、みんなよく手を合わせていたので、 「そんなことない!」と母は食い下がりました。 そうしたらおばあちゃんが 「じゃあなえぜこの子が命の危機になるような霊障を受けるんだ?」と言いました。 「でもちゃんとやってる!」と母は聞きませんでした。 そうしたらおばあちゃんは 「あんたの実家は、白木に黒文字の、繰上げ位牌(くりあげいはい)だろう。」と言いました。 繰上げ位牌?なんじゃそりゃ? 当時高校生だった私は全くわかりませんでした。 ご先祖さまとこの世を結んでご供養の気持ちを伝えるアンテナとして お位牌というものがあるのだそうです。 え〜と、なんだっけな。 もう随分と昔のことなので忘れてしまったので、 正確な数は忘れてしまったのですが 確か、お亡くなりになって49日間の間はこの世の中でうろちょろして良いのだそうです。 そのときは白木に黒文字のお位牌で良いのだそうです。 でも49日間の間に この世に対する執着や未練を捨てて、霊界に入って、次に生まれ変わってくるための修行をしないといけないのだそうです。 そんで、その49日法要の時には、黒塗りに金文字のお位牌に作り直す必要があるのだそうです。 そのお位牌に書くのは、お坊さんにつけてもらった戒名もしくは家族がつけた戒名、 どちらでも良いのだそうです。 現...

3人目のおばあちゃんその6

閲覧いただき、ありがとうございます。 前回の続きです。 ショートヘアで強めのパーマの、 首に大きな数珠をぶら下げた小柄なおばあちゃんは明らかに怒っていました。 私は「この人すっごい霊能者だ〜。」という認識でした。 「この人に頼ればどんな霊も立ち所に外してくれる!」と。 おそらく、私の両親も同じ様な認識だったのではないかと思います。 おばあちゃんは言いました。 「私は便利屋さんじゃないんだよ。そもそも、毎回こんな騒ぎがある度に呼び出されていたんじゃあ埒が開かないし、正直迷惑だ。だからウチにおいでと言ったのにあんたらはいつまで経っても来ない。そして自分らが困った時にだけ呼び出されても困るんだよ。」 と。 まあ、当時の私はまだ高校生の子供でしたから知りませんでしたが、 ガチの霊能者さんをお願いしたらそりゃあ一回の除霊で数十万円をお支払いするなんてこともザラにあることみたいですからね。 それをタダで2症例、いや2霊障解決してもらっているわけですからね。 でも、おばあちゃんが怒っていた本意はそこではありませんでした。 「人のことを、自分の都合のいい様に利用しておきながら、 何の感謝もしないとは一体何事か。金さえ出せばそれでいいとでも思っているのか。」 「利用してやってるんだ。金払ってやってるんだというそういう傲慢さが見て取れる。 このままじゃあこの娘は死ぬよ。」 と、まるで脅しのようなことを言ってきました。 「まずは母親のあんただ。自分の実家の因縁なのに、なぜ自分が被害者みたいな顔して知らん顔してられるのか?」 おばあちゃんはプンスカ怒りながら帰っていきました。 日を改めて私たちは平日の昼間に、おばあちゃんのお家に行きました。 父親も母親も有給休暇を取って。 私自身が、家族の中でネグレクトを受けていたりとか、スケープゴート的な立ち位置だったりとかしていたので、 私のために両親が怒られていた事に関して私は 「私なんかのためになんかすみません。」的な気持ちになっていました。 実際に「他人のうちのことに首を突っ込まれた。」という感じで母親は機嫌が悪そうでした。 それを見て私も身が縮む思いでした。 おばあちゃんのお家には小さな床間に小さな祭壇があつらえてあって、 そこに小さな不動明王像が鎮座していました。 おばあちゃんは、ただのお金儲け主義の職業霊能者ではなくて、 行者さんだったんで...

3人目のおばあちゃんその5

閲覧していただき、ありがとうございます。 前回の続きです。 人生で2度目の浮霊を経験した私は 自分で無意識のうちに、 「苦しい・・・。息ができない・・・。頭が痛い・・・。」と呟いていたのだそうです。 それを聞いた私の父親が、 「義母が亡くなる時に言っていたのと同じだ・・・。」と言って また強めのパーマの3人目のおばあちゃんに来てもらう事になりました。 この時は直接おばあちゃんに電話をして、 父親が車で迎えに行ったのではなかったかなと思います。 前回と同じように、大きなお数珠で私の体をゴシゴシこすってくれて、 その途端に私は楽になって 自分を取り戻しました。 「は〜楽になったわ〜!ありがとう。」 当時の私はそう思っていました。 「楽になったからもういいや。」ぐらいの気持ちでした。 でも、おばあちゃんの口からはすごい言葉が飛び出しました。 私の両親に対して、 「ウチにおいでって言ったでしょ?なんで来なかったの? この子が死んでも平気なの?」 と。 両親はオロオロしながら言いました。 「だって仕事もあるし。」 それに対しておばあちゃんは 「娘の命より目先の金が大事か。あんたらはそういう親なんだな。」と言いました。 ギョギョッ!何か大変なことが起きているぞ? と当時高校生の私は思いました。 ひょっとして私のせい? 私が浮霊しちゃったから今両親はおばあちゃんに怒られているの? と思いました。 おばあちゃんは呆れたように言いました。 「まず最初に上がってきたのは、この子のおじさんだよ。志半ばにして命を絶った。 その人が自分の無念や苦しさをわかって欲しくて自分の母親に取り憑いたんだよ。 そして取り殺した。 母親は自分がどうしてこんな経験をしなくちゃいけないのか全く理解できなくて、 この子のおじさんが亡くなった時と同じ症状で死んだ。」 そして母親に向かって 「妊婦が葬式に出ないのは世の常識だけど、あんたは出たね?」と言いました。 母親は「出ました。自分の母親の葬式なので。」と答えました。 「その時に母親を取り殺した叔父と、取り殺された母親があんたの腹の中の胎児に取り憑いたんだよ。それがこの子だ。」 とおばあちゃんは言いました。 ショートヘアの、強めのパーマヘアで。 首に大きなお数珠をぶら下げながら。 続きます。 最後まで読んでくださってありがとうございました。 これ、本当に実話です...

3人目のおばあちゃんその4

 閲覧していただきありがとうございます。 前回のお話の続きです。 自分自身なのに自分の体が自分でコントロールできない状況に陥ってしまった私は とっても困っていて、誰でもいいから助けて欲しいと思っていました。 頭が痛くて息が苦しくて体が動かなくて、何よりも涙が出て出て仕方がありませんでした。 なんでこんなに涙が出るのか自分ではさっぱりわからない状況でした。 姉が霊感の強い彼氏のニダリンに連絡してくれて、ニダリンがニダリンのお師匠さんに連絡をしてくれて、 お師匠さんが「僕じゃあ手に負えないから僕のお師匠さんを連れて行くよ。」と言ってくれました。 それから1時間ぐらいでしょうか。 ニダリンのお師匠さんがおばあちゃんを連れて実家のリビング界隈でのたうち回っている私の元に駆けつけてくれました。 そしてすぐになにかしらの祝詞(のりと)を唱えて、私の背中を首からご自身が下げている大きなお数珠で何度かこすってくれました。 そうしたらあら不思議、あんなに苦しくて涙が出て仕方がなかった状況がふっと楽になって、 「私自身が戻ってきた」という感覚になりました。 んで、その時に初めてニダリンのお師匠様のお師匠様、大お師匠様に会いました。 小柄で小太りで、ショートヘアーで強めのパーマで、派手目な柄のブラウスを着ていて、 「大阪のおばちゃん?」と思うようないでたちでした。 そこに山武士みたいなすごく大きなお数珠をかけていました。 「んは〜。楽になったわ〜ありがとう。」 ぐらいの気持ちしかなくて、 「楽にしてもらったからもういいや。」 ぐらいの気持ちでした。 「この霊はあんたのおじさんだよ。志なかばで命を落としている。あんたが生まれる前にあんたに憑いてる。そのせいで、あんたはこの人の性格とか性質を強く受け継いでいるはずだ。」 と、おばあちゃんは私と私の家族に言いました。 「このまんま霊を外してはいおしまいとはできないね。日を改めてでもいいので、私の家においで。」 と言われました。 でも、日を改めておばあちゃんのお家に行く前に、また一騒動が起きました。 私がまた浮霊したんです。 「この前払ってもらったばっかりなのに、また同じ様な症状が出た。あのおばあちゃん偽霊能者なんじゃないの?」 そんな意見が飛び交いました。 その時に苦しむ私の様子を見ていた父親が、 こう言いました。 「これ、お前の母方の...

3人目のおばあちゃんその3

閲覧していただきありがとうございます。 前回のお話の続きです。 私の瞼の裏に浮かんだ情景を絵に描いて説明した母の口から 「それ、あんたのおじさんが亡くなった時の風景だよ。作業着の色ももたれかかっていた位置も同じだ。」 と言われました。 その時に初めて私に伯父がいた事を母親の口から聞きました。 『あ、やっぱり占いのおじさんが言ってた事は本当だったんだ。』 母親の実家は米と野菜と養豚をしている農家でした。 きょうだいは長男が1人、あと5人はみんな女の子だったそうです。 長男は頭が良くて商才もあったのだそうです。 「これからは米や野菜だけじゃダメだ。新規事業として花もやるぞ。別ルートでの販売経路を開拓するのだ。」 と言い、生花市場への参入を志していたのだそうです。 農協に加入していると、農家って儲からない様に出来ていますからね。。。 北海道は雪は降るから、冬の間は農耕が出来ません。 なので冬の間はお父さんが出稼ぎに行く農家さんもたくさんありました。 そこで、新しい試みとして、普通は花が咲かない季節、冬に花の見頃を迎えるシクラメンの栽培を開始したのだそうです。 ビニールハウスに暖房を導入して、雛壇を作り、丹精込めて丁寧に、丁寧に育てたのだそうです。 シクラメンが1番売れる時期はクリスマスからお正月の前後なのだそうです。 さあいよいよ初めての出荷が近いぞ、という時期、 伯父はビニールハウスの中で一酸化炭素中毒によって亡くなったのだそうです。 赤いシクラメンの鉢植えが並ぶ雛壇にもたれかかって。 伯父が20歳だったか21歳だったかの時、本当にこれから農家の後継として家を盛り上げていくぞ!という志に燃えていた半ばだったそうです。 当時、私の母親はまだ小学生ぐらいだったそうです。 兄が亡くなってしまって随分と時間が経っていたからなのか、 私は母親に若くして亡くなった兄がいたという事を告げられる事なく育ちました。 そんな私が、自分が生まれる10年以上前の出来事を、 詳細まで詳しく話したもんですから、 母親は顔面蒼白を通り越して土気色に変化してしばらく放心状態であるかのように 驚きを隠せない状況の様に見えました。 唯物主義者で、目に見えないものの存在を信じない主義だった母ですが、 この一件で、「目に見えなくても存在している物がある。」と、 認めざるを得ないと悟った様でした。 そしてその後...

3人目のおばあちゃんその2

閲覧していただきありがとうございます。 前回のお話の続きです。 何故3人目のおばあちゃんと出会ったのか、 そしてひどい状況だったのに何故救急車を呼ばなかったのか、お話の続きです。 良かったらお付き合いください。 当時高校生だった私は3人目のおばあちゃんとの衝撃的な出会いを果たしました。 霊に乗っかられて自分の身体が上手くコントロール出来ない状況を「浮霊」と言うらしいのですが、その時の私はまさに完全に浮霊した状況でした。 でもね、普通は、そんな状況になったら、体調が悪いと判断して救急車を呼びますよね。 では何故、そんな、立っていられないほどの苦しい状況を 「霊障」だと判断したのか? 普通はそこ、不思議ですよね。 その出来事が起きる結構前に、 高校のクラスメイトの友達に誘われて、地元で「とってもよく当たる」と有名な占い師の元を訪れました。 友達は自分の片思いについて占ってもらっていました。 せっかくだから私も占ってもらおう〜っと。 と思い、友達の次に席に着きました。 特に何か占ってもらうテーマを決めていたわけではなかったのですが、 占い師さんの向かいの椅子に座った途端に占い師さんが先に話し始めました。 「あなた、志半ばで亡くなった母方の叔父さんがいるね。」と。 両親ともベビーブーマーなので、きょうだいは多いです。 が、私が知る限り、母方は女きょうだいしかいなかったはずです。 実際に母の実家の農家が母の姉がお婿さんを迎え入れて継いでいました。 なので、私は 「私には母方のおじさんなんていません。」 と言いました。 そうしたら、占い師さんは 「いや、いるはずだ。あなたが生まれる随分前に志半ばで亡くなっている。あなたの臍の緒が切れる前からあなたに憑いているよ。」と言って聞きませんでした。 「せっかくお金払ったのに、変なこと言われちゃったな〜。」 と思い、なんだか納得しない気持ちで帰りました。 それから程なくして、 目を閉じるととある光景が瞼の裏側に浮かぶようになりました。 赤い鉢植えの花が綺麗に置かれた雛壇が並べられたビニールハウスの中で、 入り口に足を向けて、1人の男性がその雛壇にもたれかかっているビジュアルが見えました。 「気のせいだろう。」と思いしばらくの間は無視していたのですが、 あまりにも何度も何度も同じビジョンが見えてくるので、 「こりゃおかしい。」と思いました。...

3人目のおばあちゃん

 私にはおばあちゃんが3人います。 1人は母の母です。 私が生まれる少し前に亡くなってしまったので、会ったことはありません。 もう1人は父の母です。 このおばあちゃんに子供の頃の私はとても懐いていました。 山奥の小さな町の古い家に1人で住んでいたのを心配して、 父親が家を新築した時に同居を申し出ました。 でも、母と姉との折り合いが悪く、 同居して半年ほどで家を出てしまいました。 それっきり会う事は叶いませんでした。 3人目のおばあちゃんは、全くの赤の他人ですが、 この人に出会ったから今の私がある。と言っても過言ではないよなあ。と思っています。 霊障が酷くて日常生活を送ることが困難な状態な高校生だった私は、 いつも非常に困っていました。 当時大学生だった姉の彼氏がとっても霊感が強いという事で、 会って話をする機会を設けてもらいました。 そうしたら、その彼氏(ニックネーム:ニダリン)が 「自分が世話になっているお師匠さんがいるので今度一緒に会いに行こう。」 と言ってくれました。 日を改めてそのお師匠さんに会いに行って、困った時に頼っていました。 とある日、私に取り憑いている霊が大暴れして収集が付かなくなり、困ってニダリンのお師匠さんに連絡をしました。 そうしたら、ニダリンのお師匠さんは 「僕では手に負えないから僕のお師匠様を連れて行くよ。なんとか堪えて待っててね‼️」 と言いました。 要するに、大お師匠さんですね。 そうして小一時間ほどした時に現れたのが3番目のおばあちゃんです。 その人は普通に小柄な田舎のおばちゃんという感じの風貌でした。 首には山武士が身につけるような大きな大きなお数珠を下げていました。 そのお数珠を外して私の身体をさすっただけで、 あら不思議。あんなに息苦しくて仕方がなかったのにスッと楽になりました。 話は前後しますが、何故体調不良ではなく霊障だと判断したのか? について次の記事でお話ししたいと思います。 最後まで読んで下さってありがとうございます。

昨日の話 そのニ

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 昨日、ぶっ倒れたお話の続きです。 目が覚めて水を飲み、軽食を少々摂り、 「これはいかんなあ。」と思いました。 とりあえず生き霊は無理でも死霊はどうにかしなくては。 と言うわけでまだ目眩フラフラの状態でしたが神仏の力を借りに行くことにしました。 東京では有名な、深川不動。 ちょっと遠いけどなんとか頑張って行くことにしました。 私が住んでいる高円寺からは東西線という電車に乗れば一本で行ける事が分かりました。 不動尊は、不動明王様をお祀りしているお寺で、深川成田山とも呼ばれているみたいです。 成田山は全国的に有名で、交通安全のご祈願をしてもらう神社としても有名ですね。 そんでこの不動明王様は、本当はあの世に行かないといけないはずなのにこの世でウロチョロしている霊を強制的にあの世に送る役割を担っているのだそうです。 背中には怒りを表現した炎を背負っています。 右手には剣、 左手には鞭を持っています。 剣は歯向かってくる霊に対して対抗するため、 そして鞭は逃げようとする霊を捕まえて強制的にあの世にポーンと放り投げるための道具との事です。 いわゆる強制送還ですね。 特にご祈祷はお願いしませんでしたが、 ご参拝をさせて頂きました。 境内も見学させてもらえました。 「神聖な場所」という事ですので、境内では脱帽、写真撮影はNGでした。 たくさんの仏像が展示されているフロアもあって、 そこでも一体一体にご挨拶させていただきました。 黒檀と言う、お坊さんがお数珠とか、ご祈祷の時に首から下げている首飾りに使われる 魔除けの聖木で作られたミニお数珠(ブレスレットサイズ)を購入して帰って来ましたよ。 オットはおみくじを引きました。 境内を見学させてもらって、 帰る間際に護摩行のご祈祷が始まり、 熱波と熱気でしばし呆然となって見入ってしまいましたよ。 さあ帰りましょうとなった時に、 私はお腹を壊して地下鉄のトイレに篭る事になりました。 好転反応ですね。(早) 電車を降りてヘロヘロな私に対して オットが「今日、高円寺で月に一回のフリーマーケットイベントが開催されているんだけど、 体調悪いからやめておこうか。」と言って来たのですが、 「いや、ちょっとだけ見て行こう。」と言って軽く覗いてみましたよ。 前回の時に購入させてもらった植物屋さんがまた出店していたら買わせて貰いたいなあと思ったんです...

昨日の話 その一

 昨日も午前中にぶっ倒れました。 「あ、ヤバい意識飛びそう」と思ったので、急いでベッドに横たわろうと思ったら、 ちょっと間に合わなくて落ちました。 そのまま意識が別の世界に行ってしまいました。 なんだか夢の中で私は揉めていました。 「この橋を渡りたいなら通行料6万円払え。」と強要されていました。 それに対して私は 「6万円なんて持っていないしそもそも高すぎる。ボッタクリだ。」と文句を言っていました。 「払えないんだったら服を脱いで裸でこの川の中を歩いて渡れ。」 と言われました。 私は頭に来て、 「そもそも何で渡らなきゃいけないのか。」と文句を言っていました。 橋の向こうには見覚えのある顔の人もいました。 写真でしか見た事がない、母方のおばあちゃんでした。 でもその人の顔を見た途端に、 「あ、この人利己主義で冷淡な性格の人だ。」と思いました。 「別に会いに行かなくてもいいや。」とも思いました。 そこで目が覚めました。 オットが私の顔をバチバチ叩いて叫んでいました。 あ〜、油断してしまったなあと思いました。 1ヶ月ほど前まで大阪に長期出張していて、 仮の住まいが大阪城の近くで、 何かしらの因縁を感じていました。 仲のいい霊感の強い友達が大阪出張の時に会いに来てくれた時に 「アンタめっちゃ(霊を)背負ってるね」と言われました。 「何人ぐらい?」と聞きましたら、 「直視できないけどぱっと見でも最低10人はいるね。みんな怒った顔してる。」 と言っていました。 「公家みたいな服装してる。」と言っていましたので、 ああ、大阪城築城当時ぐらいって武士も戦の時以外は公家みたいな服装が正装だったっけなあ。。。 とぼんやりと考えていました。

最近の悩み

 エグい話をします。 今、生き霊に悩まされています。 生き霊を飛ばしている主は特定できています。 んが。 生き霊って生きている人の念みたいなものなので、 何を使っても祓うことができません。 霊感が強い仲間の友達2人に相談しても 全く同じ答えが返って来ました。 「生き霊は厄介だよ。」と。 「なにしろ生きてるからね。いくら跳ね返しても何度でも飛ばして来る。」と。 異口同音でした。 イタチごっこですね。 しかもその生き霊を飛ばしている人の執着というか念がすっごく強くって、 時々いきなり突撃して来るんです。 気絶する事もしばしばです。 私はそれを勝手に「生き霊アタック」と名づけました。 え〜、 生き霊って蛇の姿をするのだそうです。 それがぐるりぐるりと相手の弱点を締め付ける。 まあ、人間の弱点って言ったら大体心臓ですよね。 あとは頭。 そして肺と首。 数日前に、すっごく強い生き霊アタックを受けました。 心臓を締め付けられて、 息苦しくなって、 頭を締め付けられる様な頭痛にさいなまれて、 嘔吐しました。 そのままトイレで気を失いかけました。 薄れる意識の中で症状が心筋梗塞に似てるなーと思ったので、 オットに「救急車呼んで」と言いました。 救急隊員が到着した時、心電図をとってくれました。 心電図はおかしな波形を示したいたそうです。 以前イレウスの手術でお世話になった近所の総合病院に搬送されました。 血液検査、脳のCT、胸部X線検査、心電図、胸部エコー、血圧、パルスオキシメーター 色々検査されました。 そして出た診断。 「健康体ですね〜」。 「歳の割にかなり健康な数値」とのことでした。 ただ、搬送中は血中酸素濃度は下がり気味だったみたいです。 友達に報告したら、 「そんなに強い症状が出て、正常値って、霊障以外考えられないね。」 との見識でした。 わかる。私も同じ見解。 今回の生き霊アタックの代償、 16000円なり。 昨日と今日は、生き霊の主が忙しいので、 多分アタックはないと思います。 この隙にお仕事を進めたいと思っていますよ。 なんでそれがわかるかって? 生き霊出している人の特定ができていますからね。 お店のブログでは到底発言できない事をここでは発言していこうと思っています。 受け入れられない人は見てもらわなくて全然大丈夫なので、無理しないでくださいね。

別アカウントでブログを始める事にしました。

こんにちは。はじめまして。 ブログタイトルの通り、霊感が強すぎて日常生活を送るのが困難なBBAです。 名前はオガワと言います。 本業は個人事業主で、ネットショップを経営しています。 自分にとっては日常的な事だけど、 それが自分以外の人たちには非日常な事なんだ〜と気付き、 細々ながら自分の実際の経験談と、 霊感強い仲間たちとの会話などを交えてランダムにご紹介できたら良いなあと思っています。 類は友を呼ぶとはよく言ったもので、 私の周囲には非常に霊感が強い人が複数人います。 なので変な話ですが、「霊感が強いのは当たり前」みたいな感覚で過ごしています。 でも、 世の中には「霊感が全くないよ」とおっしゃる人もいる(てか多分そっちの方が圧倒的に多い) みたいですね。 私にはオットが1人と、ムスメが1人おります。 ムスメはこんな私に育てられたせいか、 「物質として存在しない世界がある」事をごく自然の事として受け入れています。 ムスメには霊感はないみたいです。 オットは霊感が意外とあるみたいです。 子供の頃に明確な不思議体験を複数したことがあるらしく、 私の強すぎる霊障にも冷静に付き合ってくれます。 仲の良い友達2人はどちらも男性なのですが、 1人は視えちゃう人、 もう1人は感じる人です。 そんなわけで、 今までの人生で経験したこと、 そしてその中から感じ取った教訓などに関してランダムに書いていきたいと思います。 色々経験しすぎてて、 色々書くと思うので、 記事がたまって来たらカテゴリー分けしようかな〜と思います。 もし良かったらお付き合い頂けましたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いします。