自分たちでどうにかした話 2

 閲覧してくださり、ありがとうございます。
昨日書いたお話の続きです。

「ご先祖供養をちゃんとするように両親を説得しますからどうか父親を連れて行かないでください。」
と無力な私は一生懸命お仏壇にお祈りしていました。

しばらくしてボウボウと大きな炎を出していた蝋燭は、
普段の常識的な炎の大きさになり、
父親の体調もおさまりました。


ああ、よかった、助かった・・・

と思いました。

ご先祖さまに約束してしまいましたので、
自分の家の、父方のおばあちゃんが置いて行ってしまったお仏壇もご先祖供養をすることになりました。

北海道の、旭川の、江丹別という山奥の小さな町の、お寺のお坊さんに来てもらって
お仏壇の中をちゃんとしてもらう(言い方)ように、両親を説得しました。

私の実家のお仏壇には木彫りの観音像と、
後光が差している大仏(多分大日如来)の掛け軸が下げてありました。

念の為に行者のおばあちゃんに相談しに行きましたら
「仏壇の中に仏様が2体も祭られていたのだったら、そりゃあご先祖さまも窮屈で仕方なかっただろうね。観音像と大仏様の掛け軸はお坊さんにお願いして魂抜きをしてもらって撤去してもらいなさい。やり方はお坊さんが知っているはずだから。」
とアドバイスしてくれました。

また、
私の実家のお仏壇には、亡くなったおじいちゃんのお位牌しかなく、
先祖代々のお位牌がありませんでした。

この時は多分、お仏壇屋さんに行って先祖代々の黒塗り金文字のお位牌を作ってもらったように記憶しています。

おばあちゃんからのアドバイスでは、
「お位牌はお坊さんに魂入れをしてもらうまでは絶対に立てちゃいけないよ。
布で包んで、横にして運ぶんだよ。」
とのことでした。

ヘェ〜そうなんだあ。

知らないことばかりでした。

実際に仏壇の観音像と掛け軸の魂抜きの御祈祷をしてくれた後、
お坊さんは観音像を白い生地に包んで、横にしてお仏壇から外してくれました。

「これはお寺に持ち帰って御祈祷してからお焚き上げしますね。」と言ってくれました。

母方のお家と、お経の文言も違っていたので、宗派は違うと思うのですが、
「言ってること、やってくれること、ほぼ一緒だ。」と思いましたよ。

う〜ん、母方の実家のお坊さんは「はんにゃーはーらー」みたいなお経だったのに対して、
父方のお坊さんは「あーぶなむあみだー」と唱えていたような気がします。


うん。よくわかりません。ごめん。



その頃から私は、なんとなーくなんですが、
「お坊さんも行者のおばあちゃんもすごい!心霊と神仏のスペシャリストじゃん!」
と思うようになりました。
(言い方どうにかならんかね?まあ世間知らずでおばかさんなJKだったもんで)

それまでは、
おばあちゃんのことは霊能者、お金さえ出せばなんでもしてくれる
というふうに解釈していましたし、
お坊さんに対しても「よくわからないけど檀家さんからお金もらって良い暮らししている人たち」という認識でした。

なので、
「お金のためだけじゃなく、しかも困っていたら無条件で動いてくれるすごい人たちがこの世の中には存在するんだ・・・。」
という、
唯物主義的な考え方が打ち砕かれた時期でした。


利害は全てお金や物質のやり取りだけで成り立つ、
みたいな価値観が固定していたバブル後期〜バブルが弾けたぐらいの時期に多感な時代を送っていた私にとっては
とにかく何もかもが新しくて、頭の中が渋滞し始めました。

ちなみに私の実家の仏壇は仏様が渋滞していました。(笑)



ちなみにこの「父親が床に落ちてた事件」の時、
「なんで貴美ばっかり活躍するの?この家の長子は私なのに!」と
姉は泣きながら悔しがってヒステリーを起こしていました。


まあ何にせよ、
父親も霊感が強かったんでしょうね。
その後も何かおかしな発言をした時は心臓アタックが時々あって、
その度に
「ごめんなさいごめんなさい。俺の考え方が間違っていた。」
と言って謝ったら症状が緩和するという経緯が何度かありました。

が、お仏壇を整えて、ご先祖供養をするようになってから
私にも父にもひどく強い霊障が起きることはなくなりました。

先祖供養って、そんなに大事なのね〜と知った高校生時代でした。



続きます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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