自分たちでどうにかした話 1
閲覧いただき、誠にありがとうございます。
前回の記事では、母親の実家の先祖供養のやり方を行者のおばあちゃんに教えてもらって、
その通りにお坊さんに依頼して執り行ってもらったというお話をしました。
蝋燭がボウボウとすごく大きな炎を出していて
その場にいた一般人の我々はものすごくビックリしました。
お坊さんはシレッとしていましたので、お坊さんにとっては日常茶飯事なんでしょうね。
ご供養の仕方も教えてもらいました。
お仏壇屋さんには、実はミニお膳なるものが販売されていて、
家族が食べる食事そのままのメニューを盛り付けて毎日お供えするのだそうです。
ご飯、おかず、汁物、サラダ、なんでもいいのだそうです。
あとはお水、家族がお酒を飲むのならおそらくご先祖さまもお酒を嗜まれる方がいらっしゃるからお酒も、
みたいな感じで、
自分たちと同じものをお仏壇にお供えして良いとのことでした。
その際は、お鈴を2回鳴らして、
お位牌があるご先祖さまに関しては生きていた時の名前でいいので、
心の中で呼びかけて、
他にも先祖代々の皆さま、みたいな感じで呼びかけて
「皆さんで召し上がってください。」と手を合わせてお祈りするのだそうです。
お鈴を2回鳴らしてお知らせするって、パブロフの犬かよ。
と高校生の頃の私は思いましたよ。
バチ当たりで生意気なクソガキでしたね。(笑)
季節のものを買ってきた時とか、
お土産をいただいた時などは
包装紙から出してすぐに食べられる状態にして、
洋菓子やフルーツの場合は小さなフォークを添えて
やっぱりお鈴を2回鳴らして「皆さんで召し上がってください。」
とお祈りするのだそうです。
「箱のまんまで仏壇の前にどん!と置かれてもご先祖さまは見せびらかされているだけで食べられませんからね。」
とのことでした。
へえぇ〜知らなかった!
てか、当時の私は高校生ですもんね。
知らなくても仕方ないよなあと今、当時の自分の母親よりも年上になった私は思います。
そういうふうに、お坊さんからご先祖供養の方法を丁寧に教わった
母親の実家の農家を継いだ母のお姉さん(私の伯母さん)は、
文句を言うことなく毎日粛々とご先祖供養をしてくれるようになりました。
農家のお仕事ってすっごく忙しいのにね。
本当によく引き受けてくれたなあと思います。
感謝しかありません。
それから母親の実家関係の私への霊障がなくなりました。
行者のおばあちゃんとの馴れ初めの話にずっとフォーカスしていたので書いていませんでしたが、
高校生の頃、
息苦しくて目が覚めたら、
ブラインドの紐が首にぐるぐる巻きに巻きついて窒息しそうになっていたなんてことも
ありました。
その時は誰か呼ぼうにも声が出なくてもがいていたら
実家で飼っていた犬が気付いて部屋に来てくれて、
親を呼びに行ってくれてことなきを得ました。
たかが霊障、されど霊障ですね。
母方の先祖供養が執り行われたら、
次は父方の霊障が浮かび上がってきましたよ。
でも私にではなく、次は父親に。
当時の私は学校が終わったら毎日バイトに行っていたのですが、
それが終わって家に帰ったら父親が床に寝転がって
「苦しい、苦しい。」とのたうち回っていました。
他の家族もみんな心配して、救急車を呼ぼうか、行者のおばあちゃんを呼ぼうか、
でももう夜遅いから行者のおばあちゃんは寝ているかもだし。
とオロオロしていました。
それを見た時に「あ、ご先祖さまだなきっと。」と思いましたので
お仏壇にいき、お線香を焚き必死でお仏壇にお参りしました。
「すぐにご先祖供養をしてもらうように両親を説得しますから、父親を連れて行かないでください。」と。
母親&姉と、同居していた父方のおばあちゃんとの折り合いが悪くておばあちゃんが出ていってしまった時に、
父方のおばあちゃんったらお仏壇を我が家に放置して出ていってしまったんです。
当時の母親よりも年上になった私は思います。
「自分の実家のお仏壇の整え方を教えてもらったのだったら、
じゃあ次は自分が嫁いだ家のお仏壇も、ってならんもんかね?」と。
でも当時の私はまだ高校生だったので、
あり得ないぐらいにボウボウ燃える蝋燭の火を前に、ただ必死で祈るだけでした。
続きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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