3人目のおばあちゃんその3
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前回のお話の続きです。
私の瞼の裏に浮かんだ情景を絵に描いて説明した母の口から
「それ、あんたのおじさんが亡くなった時の風景だよ。作業着の色ももたれかかっていた位置も同じだ。」
と言われました。
その時に初めて私に伯父がいた事を母親の口から聞きました。
『あ、やっぱり占いのおじさんが言ってた事は本当だったんだ。』
母親の実家は米と野菜と養豚をしている農家でした。
きょうだいは長男が1人、あと5人はみんな女の子だったそうです。
長男は頭が良くて商才もあったのだそうです。
「これからは米や野菜だけじゃダメだ。新規事業として花もやるぞ。別ルートでの販売経路を開拓するのだ。」
と言い、生花市場への参入を志していたのだそうです。
農協に加入していると、農家って儲からない様に出来ていますからね。。。
北海道は雪は降るから、冬の間は農耕が出来ません。
なので冬の間はお父さんが出稼ぎに行く農家さんもたくさんありました。
そこで、新しい試みとして、普通は花が咲かない季節、冬に花の見頃を迎えるシクラメンの栽培を開始したのだそうです。
ビニールハウスに暖房を導入して、雛壇を作り、丹精込めて丁寧に、丁寧に育てたのだそうです。
シクラメンが1番売れる時期はクリスマスからお正月の前後なのだそうです。
さあいよいよ初めての出荷が近いぞ、という時期、
伯父はビニールハウスの中で一酸化炭素中毒によって亡くなったのだそうです。
赤いシクラメンの鉢植えが並ぶ雛壇にもたれかかって。
伯父が20歳だったか21歳だったかの時、本当にこれから農家の後継として家を盛り上げていくぞ!という志に燃えていた半ばだったそうです。
当時、私の母親はまだ小学生ぐらいだったそうです。
兄が亡くなってしまって随分と時間が経っていたからなのか、
私は母親に若くして亡くなった兄がいたという事を告げられる事なく育ちました。
そんな私が、自分が生まれる10年以上前の出来事を、
詳細まで詳しく話したもんですから、
母親は顔面蒼白を通り越して土気色に変化してしばらく放心状態であるかのように
驚きを隠せない状況の様に見えました。
唯物主義者で、目に見えないものの存在を信じない主義だった母ですが、
この一件で、「目に見えなくても存在している物がある。」と、
認めざるを得ないと悟った様でした。
そしてその後日の私の浮霊騒ぎ。
胸が苦しくて、息苦しくて、体が動かなくて、涙が出て仕方がなくてのたうち回る私の様子を見て、
「救急車じゃない。これは霊障だ」と判断したみたいです。
姉の彼氏(霊感が強い)のニダリンのお師匠さんに助けを求めてくれました。
そうしたら、お師匠さんがおばあちゃんを連れて来てくれました。
続きます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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