糖尿病で亡くなった叔母の話 1
閲覧くださってありがとうございます。
糖尿病ってすごくよく聞く病名で、
「耳馴染みがあるせいか身近な病気」=「そんなに怖くない病気」みたいな印象になってしまっていますよね。
でも実はコントロールが非常に難しくて死亡リスクも結構高いおっかない病気みたいですね。
私は両親とも糖尿病体質の家系なので、私自身が糖尿病のリスクが非常に高いみたいです。
どうも遺伝的な要素が強いということまではわかっているみたいですね。
その遺伝要素が子孫のどの個体に強く現れるかはガチャみたいなものみたいですね。
さてさて、
私の母方の伯母が、糖尿病を患っていました。
伯母の娘(私のいとこ)が看護師だったので、糖尿病における生活習慣の改善に関して詳しかったので、食事指導を中心に行なっていたのですが、
甘いものが大好きだった叔母はそれを苦痛に思い、まるで自分が監視されていじめを受けているかのように感じてしまっていたようです。
認識の違いっていうやつですね。
娘は母親のためを思って食事指導などを行なっているのに、
母親はそれを「苦行を強いられている」と感じてしまう。
白い粉状のもの
白砂糖や、小麦粉や、覚醒剤などは依存性があるらしい
特に白砂糖はヘロイン並みに依存性が高いなんていうことを発言するお医者さんもいます。
ヘロインをやったことがないのでどれほどの依存性かわかりませんが。(汗)
そんなわけで(どんなわけ?)で
叔母は娘の言いつけを守らずに、隠れてこっそりと甘いものを食べるようになっていたみたいです。
インシュリンの注射を打っていたにもかかわらず、
糖尿病による合併症が現れるようになってしまいました。
最初に出たのは心筋梗塞でした。
なので、首から下げるペンダントのようなものを身につけるようになりました。
胸が苦しくなったらそのペンダントのボタンを押せば病院に連絡が行って、
救急車が来てくれるっていうやつです。
今では一般的になりましたが、
当時は最先端の技術でした。
隠れて甘いものを食べていた伯母はおそらく
「大好きな甘いものを禁じられている状況」に対する反動と、
「隠れて食している」という背徳感とで、
甘いものの摂取量が増えていたのかもしれないなあと思います。
糖尿病からの心筋梗塞から、救急搬送される機会が増えました。
その時には、目も見えにくくなってきていたようです。
何度目かの救急搬送の時に、入院することになりました。
かなり長期にわたる入院でした。
それでも、
お見舞いの人たちが伯母の好きな甘いものを差し入れしてくれたら
伯母はそれを食べていたみたいです。
目がほとんど見えない状況にまでなってしまい、
歩行も困難になってしまいました。
なので、病室のベッドのすぐ隣に簡易トイレを設置されるようになってしまいました。
伯母は
「こんなふうに常に管に繋がれて、自分で好きなふうに行動できなくて、
何よりも好きなものを食べられないなんて、生きていても仕方がない。早く死にたい。」なんていう言葉を口にするようになってしまいました。
私はそんな伯母をとても心配していました。
どうかそんなふうに投げやりにならないでほしいと強く強く願っていました。
ある日の夜、家に電話がかかってきました。
伯母が危篤状態で、今夜が山だと。
両親が病院へ駆けつけようとしました。
私も行きたいと強く強く言いました。
両親は根負けして私を連れて行ってくれました。
病院に着いたら、伯母はICUの中で人工呼吸器を挿入されて、いろんな管に繋がれて
「かろうじて生きさせられている」状態でした。
お医者さんが
「持ってあと数時間でしょう。みなさん覚悟してください。」と言っていました。
伯母の娘もそうですが、
伯母の妹も看護師だったので、
意外とみんな冷静でした。
私はガラス越しに伯母を見つめて必死で願っていました。というか祈っていました。
生きてくれますように。と。
どれくらい時間が経ったかは覚えていないのですが、
お医者さんがICUから出てきて、
「奇跡が起きましたよ。状態が安定しました。みなさんもう帰っていただいて大丈夫です。」
と言いました。
その場に合う待っていた親戚一同は各々の家に帰りました。
帰りの車の中で母親は私に言いました。
「あんた、何かやったでしょ。お医者さんが、あの状態から状態が安定するなんてあり得ないって言っていたよ。」と。
「うん。」とだけ答えて、寝たふりをしました。
でも結局、伯母は亡くなりました。
数日後のある朝方、
伯母が挨拶に来てくれました。
「ありがとうね。」とニコニコ顔で言っていました。
夢だったのか現実だったのかは今となっては曖昧なのですが、
壁と天井の間ぐらいの場所から伯母がにゅ〜ッと出てきて
私に対して笑いながらそんな言葉を言ってくれたんです。
私はガバッと起きて
伯母が亡くなったことを悟りました。
その後で、
母親の口から伯母が亡くなったことを知らされました。
数日後、伯母のお通夜とお葬式が行われました。
お通夜、お葬式、納骨、全てがつつがなく執り行われて
また日常が戻りました。
私はなぜか全く悲しくありませんでした。
続きます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
コメント
コメントを投稿